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2016年06月15日11:26

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世田谷区にあった指名介護人制度の根の一つは、光明養護学校・高等部の進路指導なのか?




  僕の母校の光明養護学校・高等部では、1970年頃から進路指導の一環として、多摩更生園という身障者コロニー見学を3年に一度していた。高等部を卒業するまで、一度は見学して知る事になる。まずは、僕の古い記憶を呼び起こして、その様子を説明したい。

  当時の多摩更生園の園生たちは、年齢が40代の人が多く、親が倒れた後の「終の棲家」みたいになっていた。予算は当時としては非常に掛けたが、相部屋で、プライバシーの工夫もなかった。僕が行った時は園生の暮らしなどの詳しい様子は見学しなかったが、園生たちは一様に無気力で、ロビーで会話もせずにテレビばかり見ている姿が印象的だった。昼間から大して面白くもない番組ばかり見ている。他にやる事もあるだろうに。

  一職員が「この施設の食事は豪華です。食事しか楽しみがないので」と言ったのが僕には非常に印象的だった。後年のS園のように、詩や随筆、童話を書いたり、電動タイプライターを使って絵を描いていた人もいなかった。どう見ても、園生たちは人生を作る気概もなかった。ただ食べるだけの生活。何だろうと、高校生だった僕も思い、あのようにはなりたくないと思った。それが明日の自分の姿ならば、真っ平御免だと。

  3年後の見学の時は、当然、僕は卒業していなかったが、細かく見学したようである。恐らくはそれを踏まえての事だろう、高等部の重度身障のある生徒が光明の文化祭の文集に「施設では、障害者は監視カメラで監視されていて、恋愛も、結婚も、外出もできない」と書いてあったのを覚えている。どこかの国の刑務所ではあるまいし、実際、監視カメラで監視される施設があるかは、僕には判らない。ただし、その人は多摩更生園を見学して、明日は我が身か?と思い、強迫神経症みたいになったのは想定できる。何もその人だけでなく、多くの生徒がそのようになったわけである。

  指名介護人制度を推進した人たちも、ただ自分が多摩更生園みたいな所に入りたくないからという想いで、そのような運動をしたわけである。施設に入らないために、自分の介護人を獲得して。強迫神経症は何かの恐怖感を伴う強いこだわりによって起きるものであり、気持ちも非常に狭くなるから、他人の事も考えられなくなる。それゆえ、指名介護人制度を使えないだけ障碍の重い人たちの事も考えずに、その制度を作ってしまったわけだ。

  ならば、その制度の根の大きな一つも、光明養護学校・高等部の進路指導の問題という事にもなってくる。思い出し、何故、そのような所を見学させたのかと思った。見学させるならば、例えば、身障者の絵画展とか、施設でも、ねむの木学園のような、園生たちがひたむきに頑張っている所を見せるべきなのに。「いくら身体にハンディがあっても、得意なものを生かして、前向きに頑張れば人の心を打ち、多くの人が付いてくる。その果てに好きなだけ生きられるし、結婚相手もやってくる」と先生たちは指導すべきなのに、よりにもよって、職員自ら「食べる事しか楽しみがない」と言うような所を見学させる。大間違いだったと思います。

  中学の時、その教務主任をされていた先生が「高等部の先生たちは学識は豊かだが、社会性がない」と授業中に厳しく批判したのを覚えています。そのような事もあったかもしれません。小中学部の先生たちは人事異動が頻繁で、公立校や他の養護学校から来たり、行ったりもしていた。高等部の先生は異動が少なく、自然と仲間内で凝り固まり、狭い世界を作ってもいた。ならば、社会に目を開く事もなくなり、進路指導もおかしなものになっていたと。

  最後に、例え、学校の進路指導などがおかしくても、卒業生たちは先生を乗り越えて、自分の人生を作らなければなりませんが、そのような発想も指名介護人を作った人たちには見られなかった。それも問題だったかもしれません。過去の事はいつでも本当は断ち切れるものですが。

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