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2016年06月14日13:15

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若い時の僕から見た発想や行動の変化




   誰でも発想や考え方は変化している。変化しない人はいないだろう。僕も1970年代後半、80年代後半、90年以降と考え方や行動が変化している。

   70年代後半の僕は友情などの人間関係を重んじる発想だったようだ。だから、盛んに近所の身障者会に入ったり、S園や多磨全生園に行って、人とストレートに付き合おうとしたわけである。面白い事に、障碍の有無に関わらず、似た発想の人たちが自然によってきた。でも、それでは、気が合う人としか付き合えない、又、立場の違う人たちとも付き合いにくいなどの問題が出て、状況が狭くなっていった。また、その場合、人と付き合っても、野球や相撲の話しかする事もなく、お互いに退屈する事も次第に判っていった。内、近所の身障会は内紛で潰れていったが、いきなり人と付き合う事に僕も飽きていった。

  代わって、仕事みたいな事を通さないと多くの人と付き合えない、社会との関わりも出てこないと考えるようになった。でも、身体障碍を持ち、詩作などは苦手、理系の頭脳の僕に何ができるのか?と考え、取りあえず、色々と勉強してみようと思い、放送大学で幅広く勉強してみた。それまではまとまりに欠ける書き方ばかりしていたが、報告論文を書き、文をまとめるやり方は覚えられた。そうして、90年以降は福祉キャンプに出会い、そこで子供向け宇宙の文を書いて持って行った。意外な事に、大人に対しても好評で、それを通して多くの友人もできた。それを伸ばして、本格的な社会活動や仕事になれば良いと思うようにも。すでに90年の時点で、かつてのただ付き合えば良いという発想は消えていた。同時に、かつて自分が何故S園や全生園に行ったのかもよく判らなくなっていった。S園の場合は脳性まひ問題の延長でまだ判るが、全生園に至っては行った理由も判らくなっていった。

  その福祉キャンプは97年ごろに終わったが、後も小学生や中学生向けの随筆を書いたり、児童館の職員とも知り合い、火星の文みたいな事を書いたりもした。

  そして、近年はフェイスブックで児童NPOの人と知り合い、子供向け科学の文を書いているわけである。そこからも自分の世界は広がり、友人も増えている。

  多くの人は30歳ごろに考え方が変わる事があると本で読んだ事もあるが、僕もその通りだった。30歳を境に仕事願望が出てきたわけである。確かに、いきなり友人になろうと頼んでも相手にされない事も多いし、友人になろうとしても話題がなかったりして続かない事も多い。気が合う人でもそうなるわけだし。とにかく、何かを働きかけなければ、社会には通じないわけである。その事は学校を卒業して、多くの人と付き合い、判っていった。学校では教えられなかった。学校が人生の全てを教えてくれるわけでもないし、それを学校で教えられなかった事は仕方なかったと思う。自分でつかむ事もあるものだと。

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