mixiユーザー(id:17922359)

2016年06月06日16:27

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メールの効用と、目や手が不自由で打てない人たちへの対応策




  メール類は非常に便利で、判りやすいし、速く着く。それはFAXも同じである。メールやFAXがまだなかった時は通信手段は手紙と電話に限られていた。言うまでもないが、手紙はどんなに近くに出しても、最低一日はかかる。急な用事には間に合わなかった。

  電話は早いが、何癖もあるものである。

  まず、誰でも判る事だが、耳の不自由な人には聞こえないから、使えない。誰でも中耳炎になる時や、耳垢がたまる時もあるが、その場合でも聞き取る事が難しくなる。

  話す側も。例えば、僕は重い言語障碍を持っているが、ただでさえ話すことに不自由しているのに、電話の場合はもっと通じにくくなる。同様に、声量の弱い方の話も電話だと相手が聞き取れない例が多い。

  また、言語や聴力が正常な人たちでも、聞き逃しや聞き間違いが必ずあるものである。重要な用事の電話の要件の時に、聞き逃しや聞き間違えをして、後でケンカになった例も中年世代以降の人たちは経験しているだろう。人間の聴力には限界があるから、そうなるわけである。しかも、聞く機会は「一度」に限られるから、聞き逃しや聞き間違いの可能性も高くなるわけである。

  さらに、電話の時間。相手の事は見えないため、何をしている時でもかかってくるわけである。例えば、料理をしている時とか、何かの仕事や勉強をしている時にかかってきて、非常に迷惑した経験も誰もあると思う。僕も何かを書いている時とか、食事中にかかってきて、非常にイヤな想いを昔は何度もしている。正直言って、僕は電話が大嫌いだが、一番嫌う理由も「時間」である。何かをしている時にかかってくると、やりかけの事に集中できず、中途半端に終わってしまうからだ。でも、メールは着信しても、都合の良い時に見る事ができるから、楽だし、楽しく交友もできる。

  良い面が目立つメールだが、手が全然動かなかったり、目が不自由で、打てない人も世の中には多くいる。そのような人たちは、ヘルパーさんやサポーターなどに、話したい事を話して代わりに打ってもらえば良い。そのような事も、介護の一つとして、当然認められなければならないと思う。意思疎通は非常に人間らしい行動である以上は、その面の介護もあって当然だと思うし、現にそのように介護者に頼んでいる身障者もいるわけである。僕は手も不自由だが、たまたまパソコンのキーを打つ動作には支障がないから、自分で打っているだけで、打てなかったら、やはり、ヘルパーさんに打ってもらうわけである。自分で打つのも、人に打ってもらうのも、メールとしての価値は同じであるから。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月06日 18:09
    いつも ドンだけ掛かって 打っているのかなと思っていますペンギン

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