僕が一番欠けていたのは、富士福祉事業団の役員たちへの感謝の気持ちでした。もし、それがあれば、当時の勉強不足も十分に補い、続けられたと思います。
感謝どころか、富士福祉事業団自体に目が行かなかったと。僕の目は所属団体の人たちや、元患者の伊藤まつさんの所ばかりに行っていた。内向きになっていたわけですね。また、広い社会や日本の政治の事にも目が行きませんでした。
所属団体の人たちとの交流ができたのも、富士福祉事業団の役員たちがいてこそだったのに。この件を振り返っても、感謝の大切さを感じます。感謝は愛よりも本当は大切かもしれませんね。そのような気がいつもするわけです。
当時の役員たちは皆、今は天国ですが、数十年遅れで「ありがとう」と言います。
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