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2015年10月24日11:54

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韓国歴史ドラマ「広開土太王」を見て




  東京MX系で放送されていた韓国の歴史ドラマ「広開土太王」を見終えた。在位期間が391年から412年の高句麗(コレジョ)の偉大な大王のドラマである。高句麗や広開土太王の名前は学校の教科書にも出てきたから知っているが、高句麗内の社会の様子や王様の業績の事は知らなかったので、勉強になった。

  広開土太王の個人名はタムドク。第二王子だったが、若い時に兄が隣国の後燕の陰謀で殺されて、父王が引退後、後を継ぎ、王様になった。非常に民を重んじる考え方をして、役人の不正には厳しく対処した。何回も「民と共にある」と言うセリフを述べている。儒教には「民の声は天の声」という政治思想が根強くあり、広開土太王自身も儒教の経典を徹底的に学んだことがうかがえる。民主主義の今の世の中でも、政治家たちに通用する事ですね。

  それから、外交や軍略にも非常に秀でて、多くの国と外交関係を結んだり、自らも戦の最前線に立った場面も出てきます。

  当時の日本は倭国と言い、主に今の西日本一帯の地域の国でしたが、まだ産業も起きておらず、朝鮮半島南部を支配する百済(ペクチェ)と手を組み、鉄と農業技術を百済から得る代わりに、雇い兵を送るという関係で、高句麗と百済が対立した時、倭国も百済に肩入れする兵を送りましたが、かなわず、惨敗する場面も出てきます。当時の倭国の兵は弱かったと僕は見ています。武器も貧弱で。日本が国として整い、「日本」なる国名を持ったのはその時代から3百年近くも後の事です。因みに、日本の人たち向けにお話ししますと、それよりも前に朝鮮半島南部に「任那の日本府」があったと戦前は勿論、戦後もかなり遅くまで小中学の教科書に書かれてありましたが、そのような事実はなかったそうです。「日本」という名前があったのかも疑わしいし、日本では多くの国が西日本に乱立し、とても朝鮮に植民地を作れる状態ではなかったわけです。

  さて、当時の中国は分裂状態で、多くの国がありました。それゆえに高句麗が中国北部の国々と争う事は僕にも推察が着いていましたが、隣国の後燕と激しい戦争をした事は知りませんでした。ましてや、高句麗が勝ち、後燕やその西の北魏まで支配下に収めた事も知らなかったです。また、支配下に置いた後燕の地の民にも細かく太王は気を配った事も。後燕の民も太王を支持しました。もちろん、高句麗内の支持は絶大で、今も韓国では人気が高いのもよく判ります。当時の高句麗は庶民も限られた範囲とは言え、かなりのものを食べていたようで、食べ物屋に人々が集い、ご飯を食べたり、酒を飲む様子もたくさん出てきます。また、天を重んじる本当の儒教の言葉もたくさん出てきて、その面でも勉強になりました。

  最後に、日本では江戸時代に儒教が重んじられた事になっていますが、「天」の思想が薄められており、昔も、今も日本人で本当の儒教を知る人は少ないです。政治家でも。今も韓国・北朝鮮、中国・台湾と儒教精神は根深くありますが、日本人は理解できない例が多い。それが日韓や日中の摩擦の原因の一つとなっているわけで、政治家はもちろん、多くの日本人も、例え信じられなくても良いから、人類の古典の一つとしての儒教を学び、尊敬していく必要もあると思います。大事な事ですね。

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