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2015年08月29日15:51

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「難聴記録」の書き方と、作文教育

  その終わりの方に、脳性まひで常に体が動くタイプ(アテトーゼ)の人たちの事をさりげなく書いた。気持ちなどは交えずに。報告文を書く要領で。その書き方で良かったし、僕はそのような書き方をいつもしている。
  だが、フェイスブックには当人がいるから流せない事だが、ある身障者は、「私よりも体の弱い人は大変だと思います」とか書いて、他の身障者たちから「差別的な書き方だ。身障者が身障者を差別するのはおかしい」とよく怒られるとか。その人流の書き方を昨日の文に当てはめると、「僕はアテトーゼ反応タイプではないから良かったと思います」みたいな書き方をして、他の脳性まひ者を傷つけたり、ケンカを招く事にもなりかねない。それにそのような書き方をすると、特に政治家たちは「そういう体でなくて、良かったですね」としか思わず、障碍者医療の問題に踏み込めないわけで、書いた価値もなくなるわけである。
  ところで。その身障者だが、文をよく読むと、無理に気持ちや感情を込めて書いている事が僕には判る。それは小学時代の作文の書き方である。僕もそうだったが、作文の時は「気持ちとか感情を込めて書きなさい」と指導される。僕はそれが大の苦手で、一度白紙回答した事もある。僕が本格的に文を書くようになったのは、学校卒業後である。従って、作文指導の延長ではない。でも、その身障者は明らかに作文の延長で書き続けている。だから、無理に感情を書こうとして、ひねくれた書き方にもなり、トラブルも招いているのではないだろうか。無理やり書けば、例え差別的な気持ちはなくても、そのような書き方にもなる事はあり得ることだと。
  作文指導はおかしいと思い続けているので、非公式に書いてみたわけです。
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