mixiユーザー(id:17922359)

2015年04月30日15:40

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差別みたいなものは状況が作り出すのではないか

  「産業社会を無意識に模したと思われる身障会」を書いた後に思った事です。

  その身障者たち、特に指名介護人制度で生活した身障者たちはより重い障碍者を結果的に差別しました。それは大きな問題ですが、それだけでしょうか。まだ問題はあるはずです。

   いくら身障者に介護が必要とは言え、世間に出て自分の介護人獲得の行動ばかりする。その場合、健全者=単なる介護労働力みたいになってきます。果たして、それで良いのか、改めて考えてもおかしいと今の僕は思います。介護の面ばかりにこだわっても、身障者から見て健全者は単なる介護ロボットみたいになってしまうはずです。つまり、「健全者差別」とでも言うべきものにもなってくる。一般に差別は強者が弱者をいじめる構図とされていますが、それだけでなく、弱者が強者を差別する場面もあると僕は思っています。

  世田谷の場合は地域社会が70年代は消失し、それを知らない身障者も多かったので、他人と心を通わしたり、人格を尊重し合う事もなく、結果的に身障者たちも弱者切り捨てとか、健全者に対して介護にこだわり、健全者差別にもなっていった。恐ろしかったですが、そうした身障者たちも地域社会やふれ合いを「知らない」からそうしてしまった。そのような状況が作り出したとも言えるわけで、非常に悲しく思います。

  介護はちゃんとした介護専門の労働者が適正な賃金の下、行なわなければなりません。指名介護人制度は学生など、暇があり、介護資格はない人たちがかなり担っていた。介護資格のない人たちに高額の介護報酬を行政は払うべきではありません。労働問題の面からも、その制度はいけないものだったと思います。

  20世紀の世界の歴史を見ると、やはり、国土が戦場になり、地域社会がごっそり消失した第一次世界大戦後のドイツからはナチスが、70年代のカンボジアからはポル・ポトが生まれ、今もイラクあたりでイスラム・ファシズムが台頭してきている。地域社会の崩壊は恐ろしいと思います。
  

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