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2015年04月29日10:15

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産業社会を無意識に模したと思われる身障団体


  「低投票化と地域崩壊」を書いた後、気が付いた事である。40年くらい前にあった世田谷の身障団体。当時の言葉て゛「障害者が町で自立して生きる」を掲げていた。そのための話し合いを徹底して行なったが、次第に以下のようなものになっていった。

  「障害者は介護なしでは生きられない」。本当にそうだが、その対策が今思えば、問題だった。

  「だから、障害者は健全者を介護者にしなければならない。各自が努力して、介護者を作らなければならない。そして、その介護者をこの会にも連れて来て、この運動の手伝いをさせなければならない。そうしない(障害者は)死ぬしかない」。

  特に僕は「死ぬしかない」が鮮明に記憶に残っている。僕自身も言語に重い障碍があり、それはできないわけだし、その他、その会には体が非常に弱い人も多かった。言語障碍の重い人、体が弱い人は端から会を抜けていき、言語障碍がなく、体力のある身障者だけが会に残り、自立生活や旅行をして、しまいには、彼らにしか使えない「指名介護人制度」を区政に働きかけて、作ってしまい、それが使えない多くの身障者は非常に困り、親が倒れた後、かなりがコロニー入所を余儀なくされたのである。

  当時の僕は経済関係に疎く、よく判らなかったが、今思うと、介護者獲得を金銭利潤に置き換えただけで、その身障会は利潤追求型の会社に似ていた。今の日本ではかなりが「企業の社会責任」を唱えているが、40年前の日本の会社は利潤追求一辺倒の所が多かった。

  つまり、構成員たちは身障会は作ったものの、地域社会なるものを知らず、当時の会社しか社会の事は知らなかったため、無意識的にその組織を真似、価値観を取り入れたようだ。本来ならば、障碍を持つ人たちこそは「利潤追求の産業社会にノー」を突き付けなければならないのに。勿体ない事でもあると思う。更に、もっと大事で恐ろしい事として、「それができない障害者は死ぬしかない」。大きく言えば、ナチスの障碍者殺しと同じ発想である。それを一部の身障者が持った。結果的に多くの身障者をコロニーに追いやった。魔の構造と言うしかない。こんなに恐ろしい事は今までかつてなかった。身障者も人間には違いないから、自らの心の中に「障碍者殺し」の発想も秘めていると思われるので、僕もそのような気持ちが起きないように常に自戒していきたい。

  同時期の様子を記した鎌倉市に住んでいた方のホームページを読むと、そこでは身障者や知的障碍者が遊びに行きながら、バリアフリーを検証し、世間に働きかけていった様子が描かれている。歩けず、体も非常に弱い方が江の島海岸に皆で行き、非常に感動した様子が生き生きと描かれていた。「より障害が重く、体も弱い」人に合わせるのが本当の福祉であり、障碍者団体、障碍者運動であろう。鎌倉のその会の人たちがうらやましいと、そのホームページを見て思った。

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