70年代の世田谷の身障会やボランティア会を思い出すと、雰囲気が非常に堅苦しく、どちらも「我々は○○しなければならない」という言葉が目立った。ガチガチの意識。これでは身障運動やボランティアではないし、構成員全体がそういう意識なら、恋愛や結婚も出てこない。それらは本当に「したい」意識が根だからね。当時の世田谷の身障者に結婚した例がほとんどなかった理由もそんな事だと。差別とは次元が違う問題です。当時の僕もそのような気持ちが強かったわけだし、今もその残骸は心の中にあるかも知れない。結婚に限らず、そのような気持ちを僕自身が消した時、結婚関係に限らず、全ての面で大発展できる時だと思います。
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