今日はブログを書く予定が延期になったので、思っている事を書こう。
知らない人も多いと思うが、40年くらい前の首都圏では身障者、それも主に脳性まひ者が一堂に集まり、会合をして、「脳性まひとは何か・何が一番大切か」と話し合っていた。それで外出の機会も生まれた方もかなりいたから、プラス面はあったと思う。でも、話が次第に内向きになり、抽象論にもなり、離れていく会員や、違いを許せなくて叩き合いからケンカにもなる例があり、世田谷でも早くに潰れていった。今検証して思うのだが、例えば、介護一つをとっても脳性まひ者同士でやるわけでもない以上、脳性まひ者だけが集まって会合をするのはおかしかったわけである。今だから、僕もわかる事だが。本来は、脳性まひの枠を大きく超えない限りは脳性まひ問題は出てこないわけである。
今の僕は多くのことに関心を持っている。科学系から、歴史系、スピリチュアル系と。ミクシーでも多くのコミニティに入っている。独身だから、そのコミニティにもね。それらで一見福祉と関係のない発言をしても、人々は僕を通して、脳性まひに関心を持ってくれるし、又、「地震の時は身体の不自由な人は逃げにくいから、地震を怖がる障碍者が非常に多い」などと書きこめば、尚更である。これこそ、最高・最強の脳性まひ運動である。
でも、限られた範囲内とは言え、70年代も似た事を僕はしていた。高島平団地の子供会の有志にさせていただき、参加していた事である。思えば、その延長で僕は生きているようなものである。
まとまらない話だったかもしれないが、想いを書けて良かった。
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