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2015年04月18日16:20

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僕が書けることと、書けないこと・ミクシー向け

   先の日記のように、自分の経験に基づくものだから、耳の不自由な人たちへのTVの字幕スーパーのことは大いに書けますね。フェイスブックでは、その訴えについて国会議員たちも熱心に読んで下さりました。非常にありがたいことです。
   でも、書けないと言おうか、僕が書いてはいけない事もあります。昔、元患者の一おばあさんに求められて、東村山のハンセン氏病療養所を個人交友目的で度々訪問させていただいた事があります。それは構わなかったですが、その様子をアメーバで一時体験小説風に書いたことがありました。一人の脳性マヒの旧友から「お前にはハンセン氏病問題は書けるわけがない」と叩かれました。それもあり、その体験小説は中止しましたが、それで良かったと思います。何故なら、ハンセン氏病と脳性まひは問題の根が違うからです。ハンセン氏病の場合、その差別は旧約聖書にも記されてあるなど、太古からのものであり、最も歴史的に根が深い差別です。最近の僕が気が付くに、ハンセン氏病関係に関わる人は、聖書史観など、強い史観を持った人でないと関われないし、文章にも書けません。キリスト教は大体、旧約聖書からの史観に基づく信仰であり、ハンセン氏病関係に関わる人にクリスチャンが多いのも、そのためです。
  一方、脳性まひ問題は日本では戦後になって出てきたもので、歴史的に非常に浅く、史観なしでも脳性まひの運動はできます。脳性まひの運動家の多くは史観は持たず、歴史にも疎い例ばかりです。僕も史観は持っていません。
  両者は混同できないし、脳性まひを持つ僕がハンセン氏病関係を書くことは非常に危険なことです。「史観」の問題に気が付いたのも、僕は最近になってからです。昔、一緒に療養所に行ったボランティアの人たちも元患者たちには話もできない状態でしたが、彼らも史観などは持っておらず、したがって、ハンセン氏病差別自体も理解できなかったわけです。
  ちなみに、「史観」とは何か?と聞かれても僕は困ります。僕もそれ自体判らないから、答えようがないわけですが。
  史観はともかく、誰でも書いてはいけないこともあるわけですね。
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