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2015年04月16日11:28

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臨時難聴になり、思った事




  先日、耳付近の体内に本来ならば汗となるような水分がたまり、筋肉が水ぶくれになり、耳道をふさぎ、結果的に難聴になった。3日で治ったが、その間の経験や思った事を書こう。その前に、僕は以前も同じ状態に度々なり、その都度、聴覚問題について考え続けている。

  聞こえない・聞こえにくいというのは非常に不便である。母やヘルパーさんの言っている事も判らないのだから。これまでの経験から、言っている事を推察して対応するしかない。テレビを見る時も不便である。聴覚障碍者用の字幕スーパーのある番組ならば良いが、それは今の日本では全部の放送にあるわけではない。むしろ、ない放送が非常に多い。放送大学に至っても、そうであるし。字幕スーパーのない番組を見ても、わけが判らない。もちろん、つまらない。

  さらには、音楽や歌は聞けない。それらも僕の楽しみだし、それがほとんどの人は好きだろう。それが「聞けない」のはつまらない。

  以上だが、聴覚に障碍のある人はいつも以上の通りである。どんな人生や生活だろうか?と思い、考えちゃうわけである。我々が当たり前の事として楽しんだり、貴重な情報を集めているテレビが文字通り「見るだけ」であり、情報疎外の状態に聴覚障碍者たちは置かれているわけである。本当は全ての放送に字幕スーパーを付けなければならないのに。耳が聞こえにくくなる度に、いつも思う事である。

  又、耳が正常に聞こえている時でも、僕は放送大学、ニュース解説系番組、落語や講談は聴覚障碍者用の字幕スーパーをいつも使っている。その方が判りやすいし、特に昔の日本人の名前は字幕スーパーなしでは判らない事も多いからだ。落語や講談もそれで完全に楽しめるわけだし。ならば、字幕スーパーは本当は全ての人の問題だという事になってくる。たまに難聴なる体質を持っていて、僕はむしろ幸せだと言うべきだろう。

  若い時、一時僕は耳の不自由な人と付き合った。でも、その人の言っている事を公に書いても、請け売りにしかならず、つまらないと思う。だが、以上の自分の経験に基ずく書き方ならば、構わないし、思った事は大いに公に話すべきだとも思う。

  皆さんもいつ難聴になるか、判りません。耳の不自由な人たちの事もいつも思って下さい。

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