子供会の意味は以下の通りだったはず。前置き説明から書こう。
仲間意識と帰属意識は違う。仲間意識は市民連帯に基ずくものであり、「同じ人間」という価値観が基本。それに対し、帰属意識はその会などしか通じない狭いものである。学校ではクラスの帰属意識はできても、広い仲間意識は生れない。大体、学年はもちろん、クラスが違えば、同級生でも付き合わないわけだから。
そのクラスはもちろん、学年の壁も取っ払って、子供同士が自由に付き合い、「同じ人間」という仲間意識を持つ所に意味があったと。
でも、サポートするボランティアたちの方が問題があった。所属した福祉会の帰属意識ばかり強く、市民意識・仲間意識は育たなかった。それでは、子供会に限らず、どんな福祉活動もできないわけである。ボランティアの名目で会を作ったことがおかしかったと今の僕は思っている。
それは障碍者運動にも言える。70年代くらいの首都圏の身障運動は会単位。会の内部しか通じない話ばかりしていたからね。それでは、仕方ないし、何もできないよ。本当の障碍者運動も市民意識に基ずくものだし。
さらに、最も厄介な事として、ボランティアも、身障者も、仲間意識と帰属意識を混同する例が多かった。仲間意識を追求したはずが、狭い帰属意識だった事も多かった。複数の場で僕も見てきたからね。帰属意識は要らない気もします。何かの会も必要ないと。
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