最近、俺のFacebookのタイムライン上にやたらハゲ薬の広告が多くなった。おそらくは自分がアップする記事で自虐的なハゲネタが多いのと、ハゲ薬の広告は必ず見てしまう自らの習性が招いた結末であろう。 この手の『リコメンデーション広告』の多さに
人は皆、檻の中の住人だ。学校、会社、団体、業界など、皆んなそれぞれの檻の中で、それなりに偉そうだったり、意気がったりしている。 しかし、どんなに意気がってみても、一旦、その檻の外に出てしまえば、己が驚くほどちっぽけな存在であることに
吉田拓郎の歌に『人間なんて』という歌がある。歌詞冒頭で、今の自分が欲しいものがわからない。だけど何かが足りないんだ。空に浮かぶ雲はいつかどこへ飛んでいくのだろう? そこに一体何があるというのだろう? それは誰にもわからない、というフ
昨晩、帰宅前に駅ビルの喫茶店で文庫本を読みながら、誌面に赤入れをしていた。長崎原爆資料館で購入した被爆体験手記の校正をしていたのだった。 21時近くになって、僕は帰り支度を始めた。すぐ側のテーブルにいた年の頃40前後の綺麗な奥様風の女性
画像の機材は、音声翻訳を耳でリアルタイムに聞ける、というスグレモノだ。いま、仲間内で流行っている。iOSおよびAndroidの翻訳で23言語をもサポートする、というから驚きである。 ・・・技術の発達は止まるところをしらない。スゴイな! と思う。
長崎の原爆資料館で購入した『原子雲の下に生きて』サンパウロ刊を読み終えた。爆心地からわずか七百メートルに位置した長崎市立山里国民学校(小学校)には、当時1,581名の生徒たちが在籍したが、原爆投下により1,320名の尊くも幼い命が、一瞬にして奪