ぼくが25、6歳ごろ、深夜の池袋で志村さんと殴り合いの喧嘩になりかけたことがあった。その日一緒だった当時のぼくの部下が、『ミスタードーナツ』で一人珈琲を飲んでいたサングラス姿の志村さんに気づき、酔いのせいもあってかしつこくからかってしまったのだ。
怒った志村さんは、部下に掴みかからんばかりの剣幕だった。「テメェ、オモテに出ろ!」と声を荒げて立ち上がった志村さんは腕まくりして戦闘態勢の様子だったと記憶している。
お調子者だが喧嘩早い部下も志村さんに促がされるままに立ち上がり、お店を出て行った。ぼくは二人の後を追いかけ部下を制して志村さんに言った。「失礼しました。ぼくはこいつの上司です。悪いのはこちらです。お許しください」と。志村さんはぼくの目をジッと見ながら言葉を返した。「何が上司だ、この野郎。猿の惑星みたいな顔しゃがって! 土下座しろ! 土下座しなきゃ許さないからなオレは」・・・猿の惑星呼ばわりには多少ムッとしたぼくだったが、土下座で済むなら安いもんだ、と思ったぼくは路上で膝を折り土下座の姿勢に入った。ただし、土下座してる時に蹴りでも入れられたりしたら話は別だ。そん時は絶対にぼくもヤル気でいた。喧嘩慣れしているぼくは、志村さんのその目つきと、ゴロまきの調子で、この人も相当腕に自信があるんだな、と思った。だが怖くはなかった。当時、ヤクザが相手であっても殴り合いの喧嘩をしていたぼくは、勝てる相手か、勝てない相手かを瞬時に推し量る自信があった。
地べたに這いつくばるような土下座の体勢から、ぼくの視線は志村さんの足元を注視していた。ほんの僅かでも左右どちらかの足が上がったら、迷わずもう一方の足に目掛けてタックルをかます気でいた。そこからはでんぐり返った志村さんにそのまま馬乗りになってマウント体勢から拳を振り下ろせばいいだけだと思っていた。
・・・すると、志村さんが少し後ずさりすりしたかと思うと言った。
「危ねぇ〜! この猿の惑星。今、オレの脚を狙ってたろう!? ヤベェ、ヤベェ。いくらなんでも、オレは土下座してる相手に蹴り入れたりなんかしねぇよ!」
土下座から顔を上げて志村さんを見ると、志村さんの呆れたような苦笑いの表情がそこにあった。
志村けんさん、謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
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