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2019年12月11日14:44

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討ち入りの日

 明々後日は12月14日。元禄15年12月14日は、赤穂浪人の四十七士が主君浅野内匠頭の仇を討つために深川本所にある吉良邸を襲撃した日である。
 僕は子供の頃、この『赤穂浪士』の話が大好きで、当時、歌手の三波春夫さんが、赤穂浪士の一人である杉野十兵次に槍術を指南したと言われる槍の名手俵星玄蕃のことを歌ったとされる浪曲歌謡『俵星玄蕃』を丸暗記して、そらで歌うことが出来た。とてつもなく長ったらしい歌を完璧に覚えて歌っていたのだから、それはある意味で恐ろしい小学生であり、半端ないお調子者の小学生であった、とも言えよう。
 そんな僕は、昨日帰宅後、CSで深作欣二監督作『赤穂城断絶』東映映画1978を観た。
 観劇後、僕が思ったのは、一人の愚かな主君の刃傷沙汰のために、大石内蔵助以下四十七士もの元藩士が仇討を図り、そしてそれを成し遂げた。挙句、幕府から全員切腹を命じられるという、何とも言えぬ切ない事の顛末に、うそ寒さしか感じられなかった、ということだ。それは、あり得なくも、バカバカしいそんな話の一部始終が『赤穂浪士』の正体のような気がしたからだった。・・・小学生時代は、あんなに好きだった『赤穂浪士』の話が、いつのまにか僕の中では変質を遂げ、単にくだらないとしか言いようのない昔話となっていたのには、僕自身驚かされるのだった。
 だが、一度は四十七士が祀られている泉岳寺墓地と本所の吉良邸跡には足を運んでみたいと思った。
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