「心がチクチクする原因と解決」
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心がチクチクする原因は、本来の状態から外れている黄色信号です。
聖書は、人は賛美するために創造されたと語ります。
「後の世代のために、このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」(詩編102編19節)
賛美し、感謝する状態から外れて、怒ったり、不平不満を言ったり、否定的な状態を継続するのは、本来の人間の生き方からズレているので、心が悲鳴をあげて、チクチクするのです。
否定的な状態の原因が愛であるなら問題はありませんが、自己中心が原因であるとしたら、悔い改める必要があります。
有名な聖書の「マリヤとマルタ」の話があります。
38,さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
39,彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
40,ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
41,主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
42,しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
(ルカ10章38節〜42節)
マルタはイエス様をもてなしました。
マルタは、良いことをしたのに、妹のマリヤが自分を手伝わないで、イエス様の足もとにすわって、み言葉に聞き入っていたことに腹を立てました。
もてなしの奉仕をすることは大切だし、主の足もとにすわってみ言葉を聞くことも大切です。
問題は、マルタの心の中にはイエス様がいたのではなく、自分で一杯だったことにあります。
マルタの心にイエス様で満ちていたならば、心の喜びを失うことはなかったはずです。
大好きな人に仕えていて、自分の手伝いをしないからといって腹を立てるというのは、何かがズレているのです。
ある大会で奉仕をしていた時に、一生懸命に奉仕をしていた人が、あんまり奉仕をしない人を見て腹を立てて怒鳴りました。
すっかり雰囲気が壊れてしまいました。
注意した人も、注意された方も、心の中にイエス様を迎えていたのてはなく、自分の思いで一杯でした。
お互いにイエス様に仕えていたならば、腹が立つこともないし、話してばかりいることもなかったはずです。
マルタは、最初、イエス様をもてなしてイエス様に喜ばれたいと思っていたに違いありません。
しかし、イエス様の足もとにすわってじっと話を聞いているマリヤの姿を見た途端、イエス様から目が離れて、自分の心に目が向かいました。
さらに、イエス様から目がそれると、人の顔色を気にしたりして、世の心使いで心が一杯になってしまいます。
これがイライラの原因です。
一方、マリヤはただイエス様だけを見つめ、イエス様から目を離さず、イエス様で心が一杯でした。
イエス様は、その心の状態を評価してほめたのです。
奉仕するよりも、イエス様のみ言葉を聞くことが優れているという話ではありません。
マリヤにとっては、イエス様のみ言葉に耳を傾けるのが最善だったでしょう。
しかし、生活もあるのです。イエス様の声に耳を傾けることも、仕事も両方大切です。
大切なポイントは、心の中心にイエス様を迎え、イエス様で心を満たし続けることてす。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」と言われたのです。
マリヤの心の状態は、私たちの模範です。
心がチクチクする時、それは、何かがズレていることを知らせる黄色信号です。
その時、心の中心に誰がいるのかを点検し、イエス様が中心でないならば、イエス様を心に迎えましょう。
そして、感謝しつつ、一生懸命に生きていきましょう。
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