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2020年01月29日05:20

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生きる目的

「生きる目的」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20742 (写真入り記事)

私の人生の目的。これは探し出し、つかみ取ったのではなく、与えられたものです。

牧師となって、今のような生き方をしているのは、子どもの頃には想像もつきませんでした。

神学校に入学して、将来牧師になるための準備をし、訓練を受けながらも、今のような牧師になるとは、想像できていなかったと思います。

しかし、18歳でクリスチャンになった時、人生の目的がわかりました。

神様が目的を持って私を造られ、私のために計画を持っておられる。

これからは、自分のために生きるのではなく、キリストのために生きていくんだと。

しかし、目的を見失うことがありました。空しくなりました。

目的を見失うと、人と自分を比較して、自分が勝っているということに喜びを感じ、自分が劣っているということにつらさを感じました。

クリスチャンになって、あんなに喜びが溢れていたのに、これは一体なんだろう?と感じました。

せっかく人生に目的が与えられたのに、いつの間にかそれを忘れてしまったのです。

聖書には、「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(ルカ16:10〜11)と書かれています。

忠実であり続けるためには、目的を知っている必要があります。

昔ロシアの刑罰に、A地点の水を汲んでB地点に流し、B地点の水を汲んで、A地点に流すことを繰り返す。

あるいは、A地点からB地点に土を運んで山を作り、作り終わったら、B地点の山を崩してA地点にその土を運んでA地点に山を作るという刑罰があったそうです。

ほとんどの囚人は気が狂って発狂してしまったそうです。

やることに意味も目的もないからです。

同じような作業でも、水を汲んで花壇に水をまいたり、土を運ぶことに意味や目的があるなら、ほとんどの囚人の目が輝いたはずです。

私の人生は神様のためにある。自分のためではない。

自分の栄光を現すためではない、神様の栄光を現すためにある。

自分を伝えるためではない、キリストの福音を伝えるためにある。

人々に仕えさせるためではない、人々に仕えるためにある。

人生が空しい。生きるのがつらい、などと感じるとしたら、その解決のためにイエス様を心に迎えて下さい。

イエス様は、ラオデキヤ教会に向けて、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(ヨハネの黙示録3:20)と語られました。

教会に通っていたとしても、洗礼を受けていたとしても、イエス様を心の外に締め出している人がいることを教えます、

イエス様と出会えば人生の目的がわかります。

その目的を見失わないで生くならば、人生はどんな状態であったとしても充実しているし、幸せを感じられるものです。

この幸せを分かち合うために、今日もいのちが与えられているのです。

今日も素敵な1日でありますように。
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