「喜ぶ人と一緒に喜ぶ」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20616 (写真入り記事)
毎日、ネット上でみなさんの幸せな顔を思い描きながら、幸せを感じます。みなさんの幸せが私に幸せを与えてくれるからです。
ベルナノス(Georges Bernanos、1888〜1948、20世紀フランスの作家、思想家)は、『他人の喜びに喜びを見出すこと。これが幸福の秘訣である。』と言いました。
ともすると、お金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、豊かな生活をしたり、権力があり、有名人として生きることが幸せだと考えやすいのではないでしょうか。
実際は、成功者ほど孤独であったり、物質的には豊かなのに心がすさんでいる場合があります。
ポイントは、豊かさがいけないというのではなく、その人が、「他人の喜びに喜びを見出しているか?」。あるいは、「自分の喜びだけに喜びを見出そうとしてるか?」だと思います。
私は牧師になり、他人が幸せになることを願いながら生きてきました。
聖書の言葉を語りながら、喜んで聞いてくれている人の姿を見て、無上の喜びを感じます。
他人の喜びに喜びを見出そうとしたら、幸せになれます。
他人の喜びに喜びを見出そうとしないと、そこに忍び込んで来る感情があります。ねたみです。
自分の幸せだけを願っても、世の中、自分より幸せそうな人はいくらでもいるからです。
その人に対してねたみを感じた途端、不幸になり、惨めになります。
その時に、自分の心の貧しさに原因があると気付けたら良いのですが、不幸の原因を相手のせいにしていたとしたら、不幸のサークルから抜け出せなくなります。
世の中で、相手を否定したり、非難したり、いじわるをしたり、何らかの悪意を持ってやって来る人は、そこにねたみの思いがどこかに潜んでいるものです。
ねたんでいる相手が持ってる自由、豊かさ、賞賛、富などをほしいと思っているのに、横取りされてしまったように感じて、腹が立ちます。
相手の喜びに喜びを見出せる人はどうするでしょう?
「よかったね」と心から言ってあげることができます。
一緒に喜ぶべるのです。
そうできたら、絶対に幸福になるし、喜びに溢れて来ます。
さらにもう一歩進んで、他人の喜びのために仕える事です。
他人の喜ぶ顔を見るために自分を犠牲にして、相手に与えるように生きたら、最上の幸せと最上の人生になります。
イエス・キリストは、まさに他人の喜びに仕えた人です。
他人の喜びのために、他人が持っている不幸を身代わりに背負って十字架について死なれました。
イエス様は、私たちの喜びに仕えるために生きられました。
私たちは、誰かの身代わりに死んだり十字架にかかることはできませんが、そういう思いで生きることは可能です。
イエス様はあなたは愛されています。あなたの喜びを喜んで下さり、あなたの喜びのために仕えて下さいました。
その愛に感動し、その愛を受け止め、今度はあなたも、他の誰かの喜びを喜びとし、喜びに仕えていきたいですね。
そんな幸せと喜びに満ちた1日を過ごしていきましょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する