mixiユーザー(id:17713252)

2019年10月20日07:20

21 view

自分を最高に生きよう

「自分を最高に生きよう」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20451 (写真入り記事)

先日、子どもたちと車で買い物に出かけました。帰り道、たい焼き屋さんでたい焼きを一つずつ買って、一緒に食べました。

帰りの車の中で、子供の頃に聞いた「およげ!たいやきくん」を歌っていると、子どもたちが興味を示しました。

車を停めて、タブレットで「およげ!たいやきくん」の歌の動画を見ました。子どもたちは大喜びでした。

しかし、最後、たい焼きは、釣りをしていたおじさんに釣り上げられ、食べられて終わるのを見て、「かわいそう!」と、感情移入していました。

このたい焼きくんは、毎日毎日てっぱんの上で焼かれて嫌になってしまい、ある朝、店のおじさんと喧嘩をして、海に逃げ込んみました。

自分に与えられた天命を嫌い、拒否して、懸命に違う自分になろうとしている姿が描かれています。

てっぱんから海にフィールドを移してからは、ばらく楽しい時間を過ごしますが、釣りのおじさんに釣り上げられて、「やっぱり ぼくは たいやきさ  すこし こげある たいやきさ  おじさん つばを のみこんで  ぼくを うまそうに たべたのさ」と歌が締め括られます。

たい焼きくんは、本当の自分に気づき、最後は、自分に与えられた天命を受け入れて、食べられ死んでいきます。

子どもたちは、「かわいそう!」と言いましたが、たい焼きくん自身は、幸せな最期を迎えたに違いありません。

自分を好きになれず、置かれた境遇に不満を抱き、逃れようとしている子どもに向けて、「自分を好きになり、天命を受け入れて、置かれた場所で生きなさい。そこに幸せがあるんだよ」と、教えたかったのではないかと思います。

イエス・キリストは弟子たちに、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ8章34節)と教えられました。

「自分の十字架を負う」とは、自分に与えられた使命を受け入れ、そこから逃げないで生きることを意味します。

たい焼きくんの歌のタイトルは、「およげ!たいやきくん」ですが、本当は、「たいやきとして生きよ!」とした方が歌の内容にふさわしかったと思いますが、そうしてしまったら教訓めいてしまうので面白くないからでしょう。「およげ!たいやきくん」になったのではないかと思います。

天命から逃げて、自分の生きたいように生きても、結局は、天命から逃れられず、最後戻って来るようになるものです。

作詞者は、「自分を最高に生きてほしい!」というメッセージを伝えたかったのではないかと思います。

私たちにも、自分に与えられた天命、そして、分(ぶん)があります。それを、自分の十字架と呼びますが、そこから逃れたり、回避しないで、天命、自分に与えられた分を生き、与えられた十字架を負って生きていきたいものです。

「およげ!たいやきくん」  高田ひろお作詞  佐瀬寿一作曲

まいにち まいにち ぼくらはてっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかして うみに にげこんだのさ

はじめて およいだ うみのそこ
とっても きもちが いいもんだ
おなかの あんこが おもいけど
うみは ひろいぜ こころがはずむ
ももいろ サンゴが てをふって
ぼくの およぎを ながめていたよ

まいにち まいにち たのしいことばかり
なんぱせんが ぼくのすみかさ
ときどき サメに いじめられるけど
そんなときゃ そうさ にげるのさ

いちにち およげば はらぺこさ
めだまも くるくる まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう
いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった

どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ
はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた

やっぱり ぼくは たいやきさ
すこし こげある たいやきさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそうに たべたのさ

素敵な1日でありますように。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031