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2019年07月20日05:50

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つぐないとなだめの供え物

「つぐないとなだめの供え物」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20143 〈写真入り記事〉

「つぐない」というと、私の世代だと、台湾の歌手「テレサ・テン(Teresa Teng)1953‐1995」を思い出す人がいるのではないかと思います。

テレサ・テンは、私と同じ持病を持ち、42歳の若さで亡くなりました。

子どもの頃に、「つぐない」と聞きてもその意味がわかるようでわかりませんでした。

「つぐない」作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし

窓に西陽があたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

心残りは あなたのこと
少し煙草も ひかえめにして
過去に縛られ 暮らすことより
わたしよりも可愛い人 探すことよ

愛をつぐなえば 重荷になるから
この町を離れ 暮らしてみるわ
お酒のむのも ひとり
夢を見るのも ひとり
あすは他人同志になるけれど

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど

「♫ 愛をつぐなえば 別れになるけど こんな女でも 忘れないでね ♫」

歌の主人公の女性は、浮気をしてしまったので、恋を精算するために別れようとしているのか?

「♫ 過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ ♫」

あるいは、主人公の女性は、年下の男性と恋に落ちて同棲し、「窓に西陽があたる部屋」で幸せに暮らしていたが、彼はまだ若く、未来があるので、「過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも可愛い人 探すことよ」と、今ならお互いに別れてやり直すこともできるはずと悩んだ末に、自分が身を引き、明日この部屋を出ていくことを決意をしつつも、「心残りは あなたのこと 少し煙草も ひかえめにして」と健康を気遣う、女性の揺れ動く心を描写しているのかも知れません。

「つぐない」とは、「相手に対しての弁償」を意味します。

二人の恋を終止符をうつことが「つぐない」にはならないので、相手のことを思って、自分が身を引き、恋を精算するという意味なのでしょう。

聖書には、「つぐない」ということが教えられています。

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行うなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、あるいは落し物を見つけながら欺くなど、人が行って罪を犯すことになるどれか一つについて偽りの誓いをする場合、この人が罪を犯し、後で咎を覚える場合、そのかすめた品や、脅迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は咎を覚えるとき、その元の所有者に、これを返さなければならない。この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。」』(レビ記6:1〜6)

日本でも一般的です。相手に対して何か失礼があったり、損害を与えてしまった場合は、ただ「ごめんなさい」と謝るだけではなく、何かお土産を添えてお詫びします。

つぐないをする理由は、人間関係を回復させ、保つためです。

「この人は心から詫びているんだな。そこまでしてくれるならば水に流そう」と思いやすいものです。

聖書の中に、「つぐない」よりももっと強い「なだめの供え物」という言葉があります。

「もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための―私たちの罪だけでなく、世全体のための―なだめの供え物です。」ヨハネ第一の手紙2:1〜2)

「なだめの供え物」とは、とうてい赦されないような罪を犯した相手に対して、その怒りをなだめるための「供え物」のことです。

神は、人類をご自分に似せて最高傑作として創造されました。

人間には、たった一つだけ罪を犯す可能性を残し、その一つを禁じ、それ以外の全てを食べたり、触れたりすることを許しました。

しかし、そのたった一つの禁じられた罪を、人類最初の人であるアダムとエバは犯してしまいました。

罪を犯したアダムとエバから生まれて来る子は全て罪人として生まれて来ました。

みかんの種を畑にまくとみかんが収穫されるように、罪人の種から生まれて来る全人類は罪人として誕生しました。

私たちも例外なく罪人です。

神は、人間を愛しています。

しかし、罪は決して赦すことができません。罪に対して怒っておられます。

神の怒りをなだめるために、神の一人子イエス・キリストは十字架にかかって死なれました。

神は、キリストの十字架を見て、罪の怒りを鎮められました。

そして、キリストの十字架を信じ、罪を悔い改める人を赦して下さいます。

キリストの十字架は、罪の「つぐない」であり、罪を赦すことができない神に対する「なだめの供え物」です。

キリストの十字架によって赦されない罪は一つもありません。

今日、キリストの前に出て行って、永遠の赦しを頂きましょう。

また、人間関係で、誰かに失礼をしたり、傷つけたり、損害を与えたとしたら、ただ、「ごめんなさい」と謝って終わらせるのではなく、「つぐない」をしたらどうでしょう。

これは、相手の感情に対する「なだめの供え物」です。

人間は感情の生き物です。

善悪や黒白でだけこの世の中は動いていません。

人は感情によって動かされ、生きています。

その感情に対して仕える心は人間関係をよくして行くはずです。

祝福がありますように。
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