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2020年05月13日22:25

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家康の天下取りたる戦

昨晩、マイマザーからTELがあった。
いきなりのことであったから、まさか! とか思って神妙な声で出た。
ほんなら、NHKEテレで小牧長久手の合戦の話をするとのことであった。
ほっとしながら、現在の我が家はテレビが見れない状態。
なんか、音声は出るのだけれども、画面が映らない。
NETで見れないものかと調べたがなんか登録が必要であった。
仕方なく、あきらめてしまった。
 
でまあ、この『小牧長久手の合戦』はというと、徳川家康の天下取りたる戦という評価を江戸時代後期の学者である頼山陽が記している。
この合戦こそ、家康の天下を取る第1の戦いであったという評価なのである。
小牧長久手の合戦は徳川家康と羽柴秀吉の戦いである。
家康と秀吉が戦ったのはこの戦いだけなのだ。
小牧の合戦では小競り合いで家康(織田信雄の援軍として来た)側有利で、秀吉到着後は陣を築いての睨み合いであった。
これを打破すべく、秀頼側の武将・池田恒興が『中入り』という策を進言し、これが採用され、秀吉の甥である三好秀次を総大将に進軍。
この時、家康も気付いて、中入りの軍を迎撃。
三好秀次は監軍である堀秀政に守られて敗走し、先鋒を承った池田恒興はFGOで有名になった娘婿の森長可、長男の元助と共に戦死した。
この合戦で池田恒興を討ち取ったのが僕の先祖である、永井直勝である。
長久手の合戦で池田恒興を討ち取った時のはなしな色々とあって、一騎打ちで討ち取ったというものから、永井直勝のアニキである安藤直次に譲られたという話もある。
安藤直次が譲った時の話の一つに、安藤直次は井伊直政に手柄を譲ろうと思い、
「万千代! 万千代!」
と井伊直政の幼名で呼んだが、同じ幼名の永井直勝がひょっこり現れ、手柄を譲られたという話もある。
とりあえずはラッキーであった。
長久手の合戦は家康の勝利に終わり、秀吉は講和という手段を使って終戦した。
元々、家康は織田信雄の援軍であったので、信雄が講和してしまったので秀吉と講和したのである。
ただ、長久手の合戦で手柄を立てた先祖である永井直勝は池田恒興の佩刀であった『篠の雪』を褒美としてGETした。
 
こういう話があって小牧長久手の合戦で永井家はぐんぐん出世して行く。
最終的に永井直勝は7万2千石の旗本としては高禄を得た。
小牧長久手で3000石に北条討伐家康の国替えで5000石に、関ヶ原で7000石に、大坂の陣で1万7000石にまで出世。
なお、真田幸村とガチで戦っている。
と、話し出したら止まらなさそうなので、ここまでにしとうございます。
んでは! 

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