mixiユーザー(id:17690182)

2020年01月17日15:50

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まだなのか? もうなのか? 

今日は阪神淡路大震災から25年目である。
友人からのリクエストがあったので阪神淡路大震災の日記を認める。
あれは東成のお店で働いていた時でした。
まあ、僕はというか、新聞屋さんは基本・年中無休なので定休日がない。だから、15日・16日とお休みを頂いた。
15日は西明石の方まで出向き、神戸あたりで1泊しようとも思ったが、一応、帰宅。
16日も本来は休日なのだが、呼び出される。
バイトがサボって来ないということであった。そいつの区域を知っているのが僕だけだったので呼び出されたという次第。教えたのも俺やし……
 
ちょうど、内環をチャリンコで走っていると地鳴。シャッターが揺れている音もしていたので揺れているのは確認していたが、体感はしていない。
僕はでっかいトレーラーでも来るのかと後方を確認。来ない。
これは今里ロータリー側から来るのかと前方を見るも曲がってこない。
不思議に思っていたが、何気なく信号を見るとめっちゃ揺れており、その時点で地震を確認する。
なお、一部のマンションは給水塔が壊れて水がダダ漏れになっていたりもしていた。
配達終了後、帰宅すると、マクラの上にテレビとビデオが落ちていた。
もし、バイトがサボらずに来ていたら、僕は大怪我をしていたかもしれない。ヘタしたら死んでいただろう。
友人たちからもTELがあったり、実家や妹ともTELしたりもしたが、混線していた。
テレビで燃える神戸を見たのは衝撃でした。
 
また、当時の内閣が『所詮、対岸の火事』とばかりに手を打たなかったという話も聞きました。伝聞なので、ハッキリとした情報ではありませんが、自衛隊の師団長が総理大臣の命令なく、救援のために部隊を動かしたという話も。本来はNG行為ですが、見るに見かねてであったとのこと。
当時の新聞では焼け野原になった神戸の街で自分の安否を記したボードが立ててあったというのも記憶に残っています。
妹も炊き出しの手伝いに行ったそうです。僕自身は仕事も忙しかったし、何ができるのか? 足手まといになるだけでは? と感じていたので、そういう手伝いには行きませんでした。
 
僕が神戸へ行ったのは4月になってから。JR三ノ宮駅を降りて驚いたのは、そこにあったはずのビルがなくなっていたことです。
自分の目で見て1番の驚きでした。
そこからセンター街で買い物をして、まあ、主に古本ですが……南京町でランチ。
南京町は意外と被害が少なく、多くのお店が開業しておりました。
大体、長田から三ノ宮まで高架下の商店街を見る。その中の古本屋で類まれなお宝をGETした。ナニを買ったかはナイショで。
しかしながら、あの辺りの知人にケガ人とかが出なくてホッとはしました。
なお、友人の一人はアパートが倒壊し、下半身が生き埋めに! ガスが噴出する音を聞きながら死を覚悟したそうですが、近所の方に救助されたとか。
 
また、行きたいなあ。

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