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日記一覧

キングストンー3
2020年05月31日09:09

 ラッシュアワーのバスはすごい。キャラバン、ハイエースなど日本車が圧倒的に多いミニバスが街を走り回る。ミニバスの中は座った人の上まで横になって人がかぶさり、開けっぱなしで走るバスのドアから男女のお尻がいくつも重なっているのが見える。車掌は車

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私の奄美紀行ー98 ゼロム師が女子修道会誘致に際して「お金は集まらないだろうが、修道会の志願者は集まるだろう」と予言した。その言葉は正に的中した。奄美出身者は現在、宮崎カリタス会に三十九名、幼きイエズス会に二十名、他の女子修道会にもそれぞれ

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キングストンー2
2020年05月30日08:29

キングストンに雨が降る。激しいスコールだ。まばゆいカリブ海の青空。乾燥しきった大地と熱い空気。しかし、海の向うに湧いた雲はたちまち街を覆い豪雨となる。ダウンタウンの広場には小川が流れ、人々は手近の建物の入口にスシ詰めになる。でもこんな時、悠

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私の奄美紀行ー97食事時にのぞくと、子供たちの表情は花の咲いたように輝いている。食欲をそそる献立は栄養士のシスターが腕によりをかけたもの。 施設が名瀬の小俣から現在地に移転する前、ここは土地の人がハブ山と呼んだ雑木山だった。こんな場所に子供

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キングストンー1
2020年05月29日09:02

 ガツン。アップタウンの商店が集まる道沿いに、車の騒音に混じって大きな音が響いた。すこし気取った山の手のグレゴリー・アイザックスの店を出て、すぐ脇の売店で、僕はアイスクリームコーンを買っていた。男も女も足を止めて、クスクス笑っている。透明な

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私の奄美紀行ー96現在、在寮生は二歳から十八歳までの男女六十四名。シスターズ十人が職員十一人と共に彼らの世話をしている。女子修道会経営の施設ではどこでも感じられるのだが、子供たちは明るく人なつっこい。裏を返せば家庭で愛を受けることの薄かった

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私の奄美紀行ー95十 奄美のこころ これまで奄美のテルを一向目にしなかった。テルとは大島で用いられる背負いかごで、巾広く編んだ緒を前額に掛けて物を運ぶ。山坂の多い大島では合理的な運搬法である。幕末の記録「南島雑話」にもこのさし絵がある。離島

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日本は無くなるかもしれない2013年9月7日(土)  今朝、facebookで「日本は無くなるかもしれない」という瀬戸内寂聴さんの言葉を文字化した文章を読み、以前から書きたいと思っていた或る映画についての文章を綴ることに決めた。その映画の名は「軍閥

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アイヌ神謡集―1(2006年のmixi日記より) あまりに美しく、あまりに哀しい言葉のひとむらに思わず紹介したくなりました。札幌は日、月の大雪の後の疲れにひたっております。明日は雨!の予報。雪は降っても、まだ12月、暖かい・・・。ちなみにこちら

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私の奄美紀行ー94もう夜の十時である。私は浦上のカリタス会に帰らねばならない。聞くところによると、本当の島時間は夜で、十時十一時は宵の口だという。明松師に 「皆さんがお楽しみのところ、抜けさせていただくのは申し訳ありませんが」とささやく私の

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私の奄美紀行ー93押川さんは青年のように張りのある声量豊かな声で歌った。歌詞の間の「ヨイサヨイ ヨーイサヨイ」や「イヌチカランヨ ヒルヌカランヨイ」などのはやしは全員手拍子で合唱した。来客を迎えた祝宴の最初に挨拶代りに歌うのがこの歌だという

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私の奄美紀行ー91マルタ会では近況報告などの後、会長が「珍客のシスター森本に一言」と言う。人前で話すことの不得手な私もここでは抵抗なく言葉が出た。初めて見る奄美、接する人びとへの感動がそのまま口からこぼれ出した。 会が親睦の部に移ってから「

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私の奄美紀行ー90このかつお船の従業員は船長も含めて、均等出資の均等割り当て制という珍しい配分方法が取られている。つまり年功序列なしに、収穫高に従って同じ給料ということである。合理的というか、共同体的共産精神というか、共存の和を大切にする奄

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私の奄美紀行ー89●マルタ会に招かれて 話は前後するが、奄美第二夜のこと。伝道館でマルタ会があるから、と出席を勧められた。マルタ会とは何やら女性の集まりかと思ったところ、大熊小区出身の司祭、修道者また志願者を出している家族の集会だという。会

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8月15日、長く残酷な戦争が終わった・・・(2006年のmixi日記より) 最近出遭った或る本たち。それは昭和戦争文学全集という今では読む人も稀になった日本人たちの戦争体験の記録、文学。実は近所で捨てられていたのを拾ったんだよねえ・・・。不思議

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私の奄美紀行ー88 さて映画である。モノクロームで動きがギクシャクしているのも昔なつかしい。幼きイエズス会シスターの奄美赴任で場面が始まる。当時、どの女子修道会でも伝統的なものものしい修道服を着用していた。かかとまでの白衣に黒い長いベールを

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私の奄美紀行ー87 二時半の約束はルーシン神父である。師もこの日のこの時間より都合が出来ないのだった。明日師は他出、明後日午前に私は離島する。ルーシン師の許に三十数年前の奄美布教映画があり、それを見せていただくよう、午前中に話がついたのだっ

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「ドイツ強制収容所での勇者たちの群像」エーリッヒ・マリア・レマルク著 小倉仁宏訳 発行日本図書会 発売 近代文藝社) ジャー・ヒロ 最近定期的に通っている近所の図書館で、行くたびに目に入り、気になってはいたが、(読むのが苦痛になりそうな本だ

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私の奄美紀行ー86 宣教の初期や終戦直後の集団洗礼はもはや望むべくもない。が、奄美の教会に明るいさわやかさを感じた。私は前田氏の言葉を、教会外にある大島人の好意を代弁するものと聞いた。戦後の奄美に献身してきたコンベンツアル聖フランシスコ会士

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私の奄美紀行ー85大島の町村は戦災によって九十パーセント焼失した。名瀬教会は昭和10年(1935)宣教師引き揚げ後、名瀬町役場に転用されていたが、これも勿論焼失。終戦後、信者たちは、いち早く教会再建の資金獲得に立ち上がった。 「焼跡の整理、

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人間の魂は滅びない  北山みね(抜粋) 十年前、私は二十二歳で都心のある銀行の事務員をしていた。その年頃でその環境にいたならば、今の娘さんならさしずめサラリーを貯めてニュールックの服装を身につけることが最大のたのしみであるだろうが、十年前の

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私の奄美紀行ー84久保徳雄氏は故正志氏の実弟、同俊一氏は正志氏の長男である。 郡山由紀さんは瀬留教会の長老郡山為業氏の妹。 永田博氏は笠利出身で北大島の教会事情に詳しい。 村田忠氏は元伝道士で、ゼロム師と共に西安室の宣教にも活躍した。 河内

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私の奄美紀行ー83●古老と映像が語るもの 十一時から昼食をはさんで、戦後の奄美教会について古老からお話しを聞かせていただく予定だった。場所は聖心教会のカトリックセンター。河内嘉純氏の肝入りである。二、三人の方の心安い話し合いと思っていたとこ

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私の奄美紀行ー82ハブに噛まれた求道者、オクダカツコが運び込まれたのはその頃だった。氷を当てて冷やし、ジープで名瀬の病院に運んだ。二週間で治った。奇蹟のようだったよ。彼女がもし死ぬようなことになったら迷信深い村の人は、キリスト教のせいにした

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暗黒日記
2020年05月13日03:19

暗黒日記 清沢冽(抜粋)昭和十七年十二月九日(水) 近ごろのことを書き残したい気持ちから、また日記を書く。 昨日は大東亜戦争記念日であった。ラジオは朝の賀屋(興宣)大蔵大臣の放送に始まって、終始、感情的叫喚であった。夕方は僕は聞かなかったが

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私の奄美紀行ー81ルーシン・ヤング師はコンベンツアル聖フランシスコ会・日本管区奄美地区区長、と肩書が長い。この日の本部は全島から司祭たちが集まり、主人役のルーシン師は忙しい。それにもかかわらず時間を都合して、九時半から十一時まで会っていただ

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私の奄美紀行ー80一、奄美宣教の担い手たち●ルーシン師と大棚 奄美大島の宣教は1953年以来コンベンツアル聖フランシスコ会が担当。司祭たちは島内に分散して司牧に献身しているが、毎火曜日には名瀬の同会本部に参集する。一泊してまたそれぞれの任地

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私の奄美紀行ー79加計呂麻島もまた平家落人伝説の地である。島の中心部諸鈍(しよとん)の資盛をまつった大屯(おおちょん)神社には彼の墓と伝えられる碑がある。この神社で奉納される諸鈍シバヤ(芝居)は平家伝来の民俗芸能として重要無形文化財となって

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私の奄美紀行ー77 ゼロム師が赤尾木の知恵おくれ児施設建設資金のため昭和39年8月アメリカに帰国した。その時に西安室の「マリア観音」を携えたことは前に記した。この像にまつわる物語りと西安室の集団入信は米国の信者を非常に感動させた。講演会の度

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私の奄美紀行ー76 池田家でこの像を見た同じ村落の占者、祈(いのり)直清氏が懇請してもらい受けた。 祈直清氏はこれを歳徳大明神として祈り、占いの折に霊力を受ける神として拝んでいたというのである。ところが、祈直清氏には養女があったが、ある夜夢

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