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日記一覧

10月9日 やっと平和の陽が昇る。心優しい中国人公安氏とチベタン青年軍人のおかげで、どうにか最大の危機は逃れ、無事にトラックまでたどり着くことができたが、夜中の三時に起こされて、その後ずっと泣き続けていた私の目は、みっともなく腫れ上がってい

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天草・歴史の幻影ー79一、伝説と遺跡●古寺さま 大江は幾つもの集落に分かれている。旧大庄屋のある里の尾に古寺という字(あざ)名が残っている。道端に「古寺さま」と書いた標柱が立っていて、口碑によれば、大江最初のミサが執行された場所という。資料

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やさしいおとーさん酔い止め・・・?多くのチベタンは、車にめっぽう弱いです。乗るとすぐに酔ってしまいます。そしてかなり勇ましく吐きます。大抵は吐いてしまうと、何事もなかったかのようにけろっとしていますが、たまに、ずっと苦しそうにしている子がい

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天草・歴史の幻影ー78井戸下さんの厚意に心から感謝して、車を大江修道院に戻した。その途中、シスター松下を見かけた主婦が声を掛けてきた。 「シスター白菜を持っていかんかね。すぐ裏の畑にあるよ」 シスター松下は例によって、 「ありがとう。もらっ

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これまでの山道の移動は、全てバスだった。トラックの荷台に乗って移動する事なんて、生まれて初めて。バスでさえ、絶壁の山道を走っていると、眼下を見下ろす景色はまるで空を飛んでいるみたいだった。幌なしの荷台はスゴイ。ディズニーランドもユニバーサル

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天草・歴史の幻影ー75松浦氏がいろいろ興味ある話を聞かせて下さった中に、明治期に天草人の北海道移住がある。襟裳岬のある日高支庁で、浦河町・日高牧場は天草、特に河浦町出身者の開墾によるとのこと。 松浦家を辞去する時、四朗氏の同伴でもう一度ロザ

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動き出すまで、荷台でぼんやり待つこと4時間。それでも、日焼けと埃で赤黒い顔をしたチベタンたちと、ひしめき合って体育座りしていると、何故だかハイテンションになってしまう。荷台にはチベタン鈴なり+中国人3人+私=40人近くで、座るのがやっとだ。

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天草・歴史の幻影ー77山中の閑寂の中に身を置くと、禁教の昔、この塚が見たもの、聞いたことを語る声が、風の中に聞こえるような気がする。 この時 「これだからこの場所は人に教えられない。こんなに荒されてしまっている」 井戸下さんの悲しみと怒りを

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10月8日 昌都脱出何としても、今日でここ昌都を最後にする決意で、また暗く寒い中を、重たい荷物と体とを引きずってバスステーションに向かう。昨日、回族の男に部屋を突き止められているので、これ以上ここに居るのは危険な気がした。昌都からは、ラサま

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天草・歴史の幻影ー76「天草くずれ」の際、キリシタン遺物提出を命じられた。或る物は差し出したが、皆ではない。秘蔵しているものを自宅で発見される危険を避け、信徒が持ち寄って山畑の奥に埋め、目標に石を積み上げた。これが隠れみ堂だと伝えられている

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結局、気付いたらいつの間にか、回族の若者が三人で共同生活をしているというアパートへ遊びに行くという段取りになっていた。そこで何故かじゃがいものふかしたやつを延々と食べ続けながら、「君、本当に結婚してないの?」「何故結婚してないの?」という会

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天草・歴史の幻影ー75松浦氏がいろいろ興味ある話を聞かせて下さった中に、明治期に天草人の北海道移住がある。襟裳岬のある日高支庁で、浦河町・日高牧場は天草、特に河浦町出身者の開墾によるとのこと。 松浦家を辞去する時、四朗氏の同伴でもう一度ロザ

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10月7日 ツイてない日。そう言えば、この旅に出てからというもの、「今日はツイてなかったなァ」という日は無かった。それはラッキーだったのだ。今日は、明らかにツイてなかった。本当なら、朝起きてすぐに、ラサ行きトラックを捕まえに行くべきだったの

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天草・歴史の幻影ー74標柱の前で立ち尽していると 「よろしかったらお庭へご案内しましょう」 と若い女性が現われた。二棟の建物の間から奥庭に出られる。 古木の繁み、築山、古い池が江戸時代の作庭を思わせる。その中に、つつじ、あじさいがさわやかな

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案の定、もうすっかり車は出てしまったあと。仕方が無いので、外国人は乗せてもらえないかも知れないが、一応定期便バスのチケット売り場をあたってみる。しかし、ラサ行きバスは水・木だけだ、と言う。あと四日もあるではないの。もう私はいい加減、一刻も早

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天草・歴史の幻影ー73●大庄屋松浦家 大江には旧大庄屋松浦家がある。旧大江村の踏絵はここで行われた。外からでも一度は見ておきたい、と思っていたが、機会は西平の隠れ塚探訪の二日後に恵まれた。 同じ大江でも、大江川沿いの里の尾と呼ばれるこのあた

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またまた困った・・・道端に座り込んだ。両肩で背負っても重たいバックパックを、ズタ袋に入れて担いでいた私は、それだけで疲労困憊だった。しかも、それだけ苦労して、職務質問されてるんだから、意味ないジャン。うう、トイレに行きたい。しかし一人なので

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天草・歴史の幻影ー72「落人の墓」と言われる石塔が「善者様」の近くの畑にあった。石塔はどこも申し合わせたように祠型で、この墓にはしめ縄のようなものが掛け回してある。 西平の下は荒磯。天草の乱・富岡戦での一揆側死者が城方によって海に投げ込まれ

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4,800mの峠を越えてしばらく行くと、高台から昌都の街が一望できた。でかい。江達での約束をシオンチューチュェジエが忘れていなければ、私は明日ここに到着する彼とどこかで落ち合い、ラサ行きのトラックに同乗させてもらうはずだった。この街で、待ち

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天草・歴史の幻影ー71西平の集落は荒尾岳の南、海中に屹立(きつりつ)する大ヶ瀬の大石柱群をほとんど眼下に眺める斜面に散らばっている。 「善者様」と呼ばれる隠れ塚はこの里にある。道脇常雄氏宅の下、かぼちゃ畑を回ってゆくと、一段上に木立の繁みが

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ヨモと、お別れの時。言葉もあまり通じない、どこに住んでいるのかさえ分からない彼女と、二度と会えないのはお互い分かっていた。もちろん旅なんてそんな出会いの連続なのだけど、分かっていても、やっぱり毎回寂しいもんだ。だけど彼女は今でも私の時計を大

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天草・歴史の幻影ー70一、隠れ塚●西平の遺跡 大江の西平(にしびら)にある隠れ塚に出かけたのは翌日の午前。山下大恵(ひろしげ)氏の案内である。 道順としてまず「大坊様」。大江の常兵衛山にあって、昔は山の秘所であったのだろうが、今はすぐ前を道

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10月4日 カムパの街、江達段々と、ディープなチベット文化圏に入ってきた。なのに、さっきまでの私には、それを楽しむような余裕は無かった。オジサンの魔の触手から逃れ、次の街へ行けるアテを探し・・・そしてやっと、明日の朝までは、ここ江達を満喫で

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天草・歴史の幻影ー69私たちはそこに近づいていった。 「このあたりです」 北氏の指は小川の向こう岸をさしている。そこにはわずかな草地を残して、木の繁みが背後の岡へと盛り上がっているばかり。標柱もない。 北氏の案内が無かったなら、これほど有効

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そうして、私は3人部屋に放り込まれた。真夜中、寝ている所をオジサンに激しくノックされ起こされてしまった2人の女は、ものすごく不機嫌だ。不機嫌と言うか、明らかに怒り心頭、といった感じで、すごい剣幕で私に早口の中国語による質問攻めを浴びせた。私

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天草・歴史の幻影ー68アダムはその夜中に後手に綱に引かれ、処刑の場所に連れ出された。夜は深く、城から下る山道は険しかったが、アダムは喜びに励まされて急いで行った。小川を渡るとき、勢いよく飛び渡ったので、綱を引いていた役人が川に引っぱり落とさ

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昼過ぎには江達(ジャムダ)に到着してしまった。『旅行人』には、「ヒッチしたトラックが江達で一泊する事があるが、宿に泊まると、そこから公安に通報が行く事が多いので、トラックに泊まったほうが賢明である」というような事が書いてあった。江達に泊まり

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天草・歴史の幻影ー67天草キリシタンにとって不幸のはじまりは、関ケ原戦で小西行長を失ったことだった。新領主は唐津の寺沢広高。ついで慶長十七年(一六一二)家康の意志により将軍秀忠が全国に発したキリシタン禁止令。 そして、翌年、寺沢氏が志岐の宣

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バスの中は日本人は私だけ。何となく視線を感じる。まったく、中国人もチベット人も、人をじろじろ見るという事に何の抵抗も無いんだから・・・この視線から逃れるために、私がどれだけ努力していることか!日焼け止めを塗らずにわざとチベタン風日焼けをした

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天草・歴史の幻影ー66●荒川アダム 富岡巡礼第一の目的は荒川アダム殉教の地を訪れることであった。 彼は天草における最初の殉教者と言われる。出身は有馬の荒川(現吉川)で、天文二十一年(一五五二)頃の生まれとされている。生地の名称をとって荒川と

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