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日記一覧

「杉本さんのこと」彼は僕と同じ時期に運転手として「新日本流通サービス」の本社に採用された人、いわば「同期の桜」だった。僕は大和営業所の新人として大汗掻きながら、やったことのない肉体労働に内心悲鳴をあげていたのだが、彼は平気な顔でのうのうと仕

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「恐怖の誤配!」人間のやることだから、まちがいは誰にでもある。しかし神奈川生協の配送に関しては「間違い」つまり「誤配」(他の店の商品を間違って配送してしまう)は「あってはならないことだった」。もし「誤配」すると、会社は雇用主の生協から厳しい

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僕の深夜特急ー4
2018年06月28日05:37

「トラックと格闘」  配送のトラックは四トンロングでアルミで覆われた六畳くらいの部屋を載せている。とにかく幅があって長くて高い。運転席からの眺めは二階から見下ろすように感じた。それでも左右前後をチェックできるようにミラーと後部のカメラが備え

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「地獄の日々」  栗原さんについた頃か、次の高島さんについた頃かは忘れたが、見習いでこの二人の助手をしていた時期に足の指をつぶし、手の爪をはがし、その上肋骨にひびが入った。これは荷積みを急ぐあまり荷台でキャスター付きの冷蔵ボックス(通称ポナ

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僕の深夜特急ー2
2018年06月26日07:54

 2008年05月17日  見習いの頃、最初に栗原さんという人についた。痩せて小柄で無愛想な人。所長に「乗せろ」と命じられ、いやいや僕を乗せる風だった。後で聞いた話だが、元は本社で課長をしていて、なにしろ社長と彼が唯一の古株だったから、それがいやで

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僕の深夜特急ー1
2018年06月25日06:20

2008年05月16日  この前知人とお喋りをしていて、1995年から98年までの出来事を思い出しました。それはちょうど(13年間やっていた)原宿トレンチタウンを閉めて、神奈川生協で四トントラックでの配送をしていた頃の話。高校時代からバイクや車が好

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番外編:山の伊達男、黒猫の黒ちゃん・足掛け七年暮らした千葉は君津の鹿野山。ここで出逢った動物達といえば、沢山の蛇たちや、時々慌てて逃げ去った兎たち、二度しか出逢えなかった梟(ふくろう)、松の梢で松ボックリを「よいしょ!」ともいでいた子もいた

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原宿トレンチタウンの一日ー2・そうしてようやく辿り着いた原宿トレンチタウンには、外の竹のベンチで寝ながら待っているお客さんもいたなあ。そういえば、四月十六日に名古屋のレゲエ・バー、ROOTS VIBESを訪れた時も店の外で寝ていた日本人ラスタマンがい

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死を想うー2・ある児童心理学者が(いい加減な記憶だけど)「子供は大人になるまでに七回(のような気がした)変化する」と言ったけど、実際は(人にもよるのだろうが)大人になってからも、変わり続けるものだと思う。それを「成長」と言うか、「退廃」と言

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死を想う・・・・「死」・・・、この言葉は人間である限り、誰もが免れないという意味で、特別の響きを持っている。そして恐らく誰もが恐れている・・・。「生と死」、例えばこのたった二言で人間の運命の全てが凝縮されてしまう。だからこそ、辛い時、哀しい

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伝説の新宿ハートランド・レゲエー2さて何故かそのスコッティ先生の司会も決まり、「これは素晴らしいライブになるぞ」と、チラシ配りにも精を出し、もう大成功間違いないと確信していた頃、それはイベント数日前のことだが、突然頭の痛くなるような話が主催

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伝説の新宿ハートランド・レゲエ・トレンチタウン三大イベントの最後は、僕にとって悪夢のようだが、観客達にとってはお洒落で贅沢なレゲエ・コンサートになった新宿南口の巨大テントの中でのレゲエ・ライブだ。そのイベントを思いだすと今でも腹が立つのだが

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何も思いつかない時はー2・僕が大学時代好きだった人は年上だった。それも自由が丘の高級バー「たんぽぽ」のホステスだった。何故僕がそんな店に行くのかと言うと、恐らく最初は偶然入ったその店で、働く人達に気に入られ、人柄の温厚な中野さんというバーテ

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何も思いつかない時は・・・・そんな時にしか思い出さない事がある。それは僕の初恋のこと。でもなあ、ずいぶん昔のことになってしまうなあ。僕は幼少の砌(みぎり)から、自意識過剰の子だったので、大阪の幼稚園時代、みんなで手を繋いで、輪になって踊ると

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1983年のジャマイカー2僕の大好きなバーニング・スピアに紹介され、握手したのも忘れられない、心の宝物だ。(ああ、レコード・ジャケットそのままの顔だなあ・・・)とお馬鹿な感慨(かんがい)に瞬間耽(ふけ)りながら、彼の分厚く、温かい手を握った

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続・1983年のジャマイカ・・・・数々のジャマイカの思い出の中で、今でも燦然(さんぜん)と光輝いているのはスタジオ・タフゴングで過ごした不思議な時間のこと。今はボブ・マーリイ博物館としてボブを愛する人々の巡礼地の一つになっているが、1983

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自殺は罪・・・−2・ボブ・マーリイが好きで、好きで、レゲエ・バンドに入りたいと言っていた毛利君。一時ジャー・ケイスケのバンドで活動していると聞き、よかったなあと思っていたのに、次には「自殺した」との報に触れ、仰天したものだった。何故?何故?

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自殺は罪・・・・原宿トレンチタウン時代に出逢った人達の中で忘れ難い人は多いけれど、特に自分で死を選んでしまった人の事は忘れることが出来ない。今でも時々思い出しては、どうして逝ってしまったんだろう?と考える。僕なんかは、彼等にとって遠い縁の存

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1983年のジャマイカー2なかなか話が終わらないので、とにかくジャマイカに飛びます。冷凍庫の中のように凍りついたマンハッタンのビル街から、熱風が吹きつけるキングストンの空港へ。海に浮かぶ空港の滑走路には陽炎(かげろう)が揺らぎ、木造の可愛い

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1983年のジャマイカ・・・・十月に原宿トレンチタウンをオープンさせた僕たちは、まずは手作りのラスタ・カラー商品で店の恰好を保ったが、とにかく当時はレゲエ・グッズの仕入先なんて皆無だったから、「やっぱジャマイカにいかないと・・・」という事に

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かっこ悪いことも一杯したー2・そうそう駿台予備校に通っていた頃、予備校のトイレ(注:汽車式)で、用事を済ませ、お尻を拭こうとしたら、胸ポケットに入れてあった、当時自慢のサングラスが便器にぽとりと落ちたこともあったなあ。あの時も唖然としたけど

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かっこ悪いことも一杯した・・・・子供の頃から、我ながら恥ずかしい事を色々したもの、と今になって思う。でも当時はただただ恥ずかしさで一杯で、早く忘れようとしたのだけど・・・。・あれは中学時代のこと。実は非常に恥ずかしがりやで内気だった(今は違

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僕が涙を流した訳は・・・・僕はだいたい強情っぱりだから、人に涙を見せるのを恥と考えている。とにかく、自分では「俺はラスタ」だと思っているのに、反面人生のお手本の一つは、日本人の代表とも言える、明治以前の武士の生き方のようなのだ。どうしてそう

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先生と呼び、先生と呼ばれた頃ー2・そして最後に背中を押したのが、ある人との出会い。もう知る人は少ないかも知れないが、或る時代の最先端の音楽グループだった「タジマハール旅行団」の木村道弘氏、彼こそが僕が虜(とりこ)になっていた学問世界から解き

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先生と呼び、呼ばれた頃・1983年から1995年までの長いレゲエ時代に出遭った人たちの恐らく100%が、つまり誰も知らなかった秘密、というのはオーバーだが、がある。何故秘密かと言うと、当時も今もレゲエ世界とその世界があまりにも距離があり、互

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狐に化かされた音楽祭ー2大河、渡良瀬川沿いの、葦(あし)が群生する広大な遊水地の何もない原っぱだったけど、夜になると丸く黄色い月が昇り、河原を吹く風と数十人の観客との、まるで秘儀のような不思議な祭りになった。当時仲良くしていたシェラードとい

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狐に化かされたような音楽祭・原宿トレンチタウン時代の三大イベントと言えば、やはり一番目は北志賀の「JAPAN REGGAE FESTIVAL」だが、後の二つは、内容も苦労も、それぞれ個性的で甲乙付け難いイベントだった。その一つが1986年の「栃木県旧谷中村(

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  バイクは死の匂い−2・そしてバイクに狂った高校時代、身についたもう一つのもの、それは警察官への反感であり、法律への反感だった。この気持ちも、少しは大人になったけど、未だに引きずっているんだよねえ。テレビで捕まった連中の醜い言い草、「なん

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バイクは死の匂い・・・−1・僕からレゲエを取り去っても、他の例えばジャズが好きだった頃の僕がいるし、大学で学んだ知識を全て忘れ去ったとしても、まだ生きる知恵を持った僕が生き残っているだろう。しかしバイク体験がなかったなら、恐らく僕は全く別の

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