mixiユーザー(id:1762426)

日記一覧

天草・歴史の幻影ー127しかし、と、又しても仮定を差しはさめば、彼らに活動の舞台が十分に与えられたなら、彼らこそ、その檜舞台の千両役者となれたはずである。ヴァリニャーノが期待したように。 彼らの、というよりはキリシタンの悲劇は、そのような活

続きを読む

 酒場子供連れのママギャルやおばさんたちで賑わう都心のファーストフードショップは白とピンク色の華やかな空間だが、倉庫も兼ねた裏手の従業員控え室は表と対照的に薄暗くて侘びしかった。夕方の五時、早番で出勤したティーンたちが帰る準備に忙しい。職業

続きを読む

プロローグ「ヘイ、ブラザー。旅に出るらしいな?」「ヤーマン」 南国の強い日差しを避け、四人の老人が木陰で話していた。ここはトレンチタウン。ジャマイカの首都キングストンのスラムだ。ボロをまとった裸足の子供たちが、自転車のリムを回して遊んでいる

続きを読む

RASTAMAN VIBATION ラスタマン バイブレイション2002       ジャー・ヒロこの物語は1983年から1997年までの間、原宿の裏道にあったレゲエショップ・トレンチタウンでの、数々の出会いと別れから生まれたものです。1991年に一度出版

続きを読む

緑と共に生きる
2020年10月29日07:51

13年半続けた原宿トレンチタウン。店の入口の脇には一本の名も知れぬ木が店のシンボルのように立っていた。1983年秋に始めた頃には、小さな苗木のような木だったが、店を閉じた95年1月にはどこか風格のある樹木になっていた。その後暫くして訪れると

続きを読む

天草・歴史の幻影ー126 印刷機の招来は、使節の出発時より計画され、三人の印刷工候補者をも同行せしめている。その金属活字印刷機を使用して教義書、コレジヨの教科書、信心書、膨大な辞典類まで刊行したのである。 加津佐、天草、長崎、マカオと印刷機

続きを読む

天草・歴史の幻影ー266コレジヨが河内浦にあった七年間(一五九一〜一五九七)に十二種の「天草本」と称される本の出版が行われている。「ヒイデスの導士」「ドチリナ キリシタン」「平家の物語」「エソボのファブラス」「金句集」「ラテン文典」「羅葡日

続きを読む

天草・歴史の幻影ー124一、河内浦・その栄光(2)●「天草本」 西浦町での感動の一つは、天正遣欧少年使節が史上のかすかな存在ではなく、彼らが修練所(ノビシアド)と学林(コレジヨ)で学んだ七ヶ年の生活がここにあったという実感である。 その確か

続きを読む

1214世帯へ、ご飯とおかずを翌日に発送誰もが「助けて」と言えた「コロナ禍・緊急食支援」         認定NPO法人 フードバンク関西兵庫県を拠点に2003年に創設された認定NPO法人「フードバンク関西」は、コロナ禍のもと、初めて個人への直接

続きを読む

”女性活躍小国”日本で起っていること 女性と非正規への差別、深刻なシングルマザー、DV被害    竹信三恵子さん(たけのぶ・みえこ和光大学名誉教授。ジャーナリスト。1976年、朝日新聞社に入社。編集委員兼論説委員(労働担当)などを経て、201

続きを読む

預貯金が底をつく高齢者必要なのは”ベーシックサービス”無償化、負担軽減                         藤田孝典さん(藤田孝典:1982年生まれ。NPO法人ほっとプラス代表理事。聖学院大学人間福祉部客員準教授。反貧困ネットワー

続きを読む

THE BIGISSUE VOL389 2020,8,15号 4月6日に小池百合子都知事が「一時住宅」の提供を発表したものの対策は進まず、5月末までに稲葉さんのもとに寄せられたSOSは約170件にのぼる。20代〜40代が多く、長年ネットカフェで暮していた人

続きを読む

重傷者でひしめく糸数分室●島袋淑子(しまぶくろよしこ)(旧・屋比久<やびく>淑子)−当時17歳師範予科3年 糸数分室勤務 大城知善(おおしろちぜん)先生に引率されて、生徒16名が南風原(はえばる)から糸数分室に配置替(はいちが)えになったの

続きを読む

天草・歴史の幻影ー123私は河内浦での彼らに強く心を引かれる。休憩時間や休日に、一町田沿いを散歩しながら、交わしたであろう会話の数々が想像される。彼らだけに共通の滞欧経験の熱い思い出。西欧キリスト教社会での見聞、その華麗さ。二人の教皇との謁

続きを読む

THE BIG ISSUE VOL 389 2025・8・15刊今、人々は生きる苦しさを強いられている。解雇や派遣切りで”家”を失う人、休業手当ない非正規雇用者、パートの低賃金の仕事を失う女性、仕事が激減したフリーランスの自営業者など、休業すれば生きてい

続きを読む

津嘉山(つかざん)経理部に送られた生徒たち●宮城喜久子(旧・兼城<かねしろ>喜久子ー当時16歳一高女4年 球(たま)経理部勤務 南風原(はえばる)から津嘉山の球経理部に配置替(はいちが)えされたのは平良(たいら)松四郎、仲栄真(なかえま)助

続きを読む

天草・歴史の幻影ー122一行がポルトガルのリスボン港を出帆して帰国の途に着いたのは天正十四年二月(一五八六・四)。インドのゴアに一年滞在し、マカオに到着したのが天正十六年六月十九日(一五八八・四・二二)。ここで彼らを待っていたのは、思いも掛

続きを読む

鋸(のこぎり)で切り落とした足●瑞慶覧(ずけらん)初枝(旧・名嘉山<なかやま>初枝)ー当時17歳師範本科1年 第一外科勤務 初めて手術を見た時は気分が悪くなり、途中(とちゅう)で外へ逃(に)げ出したりしましたが、破片で手をもぎ取られた人、足

続きを読む

天草・歴史の幻影ー121彼らの見聞記については省略する。が、八年五ヶ月を費やした、日本人最初の驚嘆すべき大旅行であった。その頂点が、目的でもあるローマ教皇との謁見である。 グレゴリオ十三世、と言えば、私たちはグレゴリオ暦(西暦と称しているも

続きを読む

直撃された十四号壕●与那覇(よなは)百子(ももこ)<旧・上地(うえち)百子)−当時17歳師範予科3年 第一外科勤務 「ドカーン」と物凄(ものすご)い音でした。 「随分(ずいぶん)大きな爆弾(ばくだん)だったね。今のはどこだったかな」と患者た

続きを読む

天草・歴史の幻影ー120 人影一つない一町田川の堤上に立って、南部を見渡すと、この南島、辺境の山々も浦辺も、豊臣時代の禁令下にキリシタンの一大中心だった、ということが、現実放れのした伝説のような気さえする。 だが、その当時、行き交う人は武士

続きを読む

●泥沼化した中部戦線4月中旬、米軍は日本軍司令部のある首里をめざして本格的な攻勢をはじめた。わずか4キロの戦場で、40日間におよぶ一進一退の死闘がくりひろげられ、日米両軍とも多大な死者を出した。手術場 手術は、奥行の浅い壕の土間に設置された

続きを読む

天草・歴史の幻影ー119一、河内浦・その栄光●天草学林 河内浦でもう一ヶ所、訪れたい場所があった。天草学林の跡である。 私たちは役場の敷地から葛河内川の堤を一町田川との合流点に向かって約二百メートルほど歩いた。河浦中学の校庭南側との境、つつ

続きを読む

危険な飯上げ●新嘉喜(あらかき)すみ子(旧・津波古<つはこ>すみ子)−当時17歳師範予科3年 第二外科勤務 飯上げは、第二外科から坂を下り、喜屋武(きやん)部落の炊事場(すいじば)に行きます。醤油樽(しょうゆだる)にごはんを入れて2人で運ん

続きを読む

天草・歴史の幻影ー118しかし、ここ一町田は、アルメイダが最後の使命を果たし、生涯を終えた地である。信福寺の門前の墓地に立つ標柱、「ルイス・デ・アルメイダ神父終焉の地」は、広義の意味において正しいと言える。 アルメイダが瑠璃色の河内浦(羊角

続きを読む

敷名分室の犠牲者●湧川(わくがわ)辰子(旧・松井辰子)−当時15歳 一高女3年敷名分室勤務 4月何日でしたかね。戦が激しくなると、一高女3年の21名は徳田安信(あんしん)、石垣實俊(じっしゅん)、新垣仁正(あらがきじんせい)、奥里将貞(おく

続きを読む

天草・歴史の幻影ー117天草鎮尚の最後の言葉が、「もう飛んで行くぞ」と、勇壮な魂の飛翔を思わせるものであった。それに比して、アルメイダの「無言」の臨終は、労苦に満ち、しかも華々しい宣教生活のしめくくりとして、慎ましく清らかなものを感じさせる

続きを読む

おしっこをゴックンゴックン●安里(あさと)シズ(旧・比嘉<ひが>シズ)−当時19師範本科2年第一外科勤務 両手の切れた人、足の無い人、脳症を起こしてのたうち回る人。そんな兵隊たちを見て、初めは本当にかわいそうだと涙(なみだ)もこぼれたんです

続きを読む

天草・歴史の幻影ー116●その死 私たちは信福寺門前に立っていた。 この寺は一町田川をはさんで、河内浦城跡の対岸にある。天草時代、同氏の菩提寺であった。アルメイダと天草鎮尚の初対面の場所は信福寺の奥座敷であった、とも言われている。 今見る信

続きを読む

天草・歴史の幻影ー114アルメイダが天草鎮尚(しげひさ)に提示した五ヶ条、というのがある。・領内での布教を許可すること・教えの是非を知るため、領主自身が説教を聞くこと・教えを是と判断したなら、領主の子息を入信させること・領内に教会設置の土地

続きを読む