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日本のラスタファリ、ムーブメントー2mixi日記

日本のラスタファリ・ムーブメントー2 mixi日記
2009年01月14日16:29

1983年10月に原宿トレンチタウンを始める大きなきっかけの一つとして、ジャマイカ映画ロッカーズの日本での上映がある。本やレコードでしか触れることの出来ない遠いジャマイカと出演するレゲエ・ミュージシャンたち、それに冒頭で平和のメッセージを述べる座布団のようなドレッドの(ハイアーという名の)ラスタマン、そして背景に流れる名曲サタマサガナ。僕たち、レゲエを愛する者たちはぞっこん痺れたものです。もう一本の映画ハーダー・ゼイ・カムもジャマイカの厳しい現実を感じさせ、胸にしみこむ作品でした。この映画に主演したジミー・クリフは、多くの日本人フアンをもつスーパー・スターでした。それでもレゲエやラスタファリは日本とは無縁の黒人文化に過ぎなかったと言えるでしょう。

 僕にとっての大きな転機は83年の暮れにジャマイカに行ったことでした。商品の仕入れを兼ねて、ジャマイカの真の姿に触れたいと思って、まだ現地の情報も満足にない時代に行きました。今回札幌でレゲエの店を始めることもそうですが、無謀な人生への挑戦を信条とする僕は(ボブ・マーリイの生まれたジャマイカで死ぬのだったら本望)という気持ちと、まるで戦場におもむくように高揚した気分とでキングストンの空港に降り立ったものです。真冬のニューヨークで一週間滞在した後だから、陽炎が揺れる飛行場の熱気にジャマイカを実感しました。そして空港の外でかもを求めてひしめく男たちにも・・・。

 ラスタファリズムを初めて肌で感じたのは、偶然出会って仲良くなったルーツ・レゲエ・シンガー、ウインストン・ジャレットとの交流でした。言葉の端々にラスタの教えを説く彼に、生きた信仰の尊さを感じたものです。そしてジャマイカの人たち全てがラスタファリにせよ、多くの土着宗教にせよ、神を信じている現実そのものが、僕には、衝撃でした。そう、ここでは神を信じることなく生きていけないくらい厳しく辛い風土だった。僕にとって、生きた神の信仰はジャマイカで強烈に感じました。それでも本当の信仰に至るにはまだまだ試練がありました。それでも彼等の神の世界を日本に紹介したいという思いを持って帰国。その後は、僕の言葉によれば、「歩くジャマイカ」として、撮った写真の展示会をやったり、ジャマイカのラスタマンの状況のお話会をしたり(そうそう外国人を集めて英語で話したこともありました)、憑かれるようにジャマイカにのめりこんでいました。

 そうそう、質問に戻りますが、80年代のラスタファリ運動について言うと、僕のつくった言葉「ボブ・マーリイ・ラスタ」が一番ふさわしい言葉だと思う。僕の彼の死によって衝撃を受け、店を始め、彼の思想を広めたいと思ったように、世界中に同じ衝撃、同じ欲求を持って立ち上がった人たちがいたのです。

日本の代表的レゲエ・シンガー、ジャー・ケイスケも「ボブに出会ったからレゲエを始めた。俺の知ってる連中はみんなボブから始まってる」と言った。アフリカのケニヤからきたラスタマン、ラス・ユージンも「ボブの死をラジオで聞いて、やっていた仕事を放り出して、仲間とラスタになった」と言っていた。

 だから80年代のラスタファリの信奉者たちの原点にはボブ・マーリイがいると思う。日本の場合それが変化したのは1990年前後の一大レゲエ・ブーム以降だろう。遠い遠いジャマイカが一気に身近な国に変わってしまった。航空運賃だって、僕が83年に行った時は往復で27万円もしたのに、12,3万円になる。バブルの絶頂期だから、誰でもちょっと仕事をしさえすれば、その位の金は出来た。だから原宿トレンチタウンの常連さんたちの多くがぽんとジャマイカに行ったもんだった。ジャマイカで彼氏をつくった女の子は何度もジャマイカ詣(もうで)をしていた。「ビキニ着てピンクのキャデラックのオープン・カーに乗ってドライブするのが最高」なんて抜かしていた女の子もいた。そいうバブルの風潮の中で次第に、ジャマイカで、本物のラスタファリアンと交流する人たちが現われる。

 僕が呼ぶ「シンクロ・バイブス一派」。彼等こそ本格的ラスタファリアンを目指す初めての日本人集団だった。オーガスタス・パブロのハーブ・ドクターとして日本にもきたことがあるドクター・バガ。彼の教えが日本で出版されて以降熱心な信者が増えていった。しかし、僕から見ると、いろいろな意味で偏(かたよ)りすぎて、素直に信じる気持ちになれない世界だった。でも現在の日本でも信仰(ガンジャへの信仰も含めて)の熱さと信念の固さでぴか一の信仰集団とも言えるだろう。90年代以降、特に97年に店を止めて以降のラスタファリ状況は僕には未知の世界となってしまう。何故なら、6年間山で暮らし、ラスタファリの世界とは無縁に暮らしていたからだ。それでも感じることは、ジャマイカとの繋がりが深くなり、彼の地の様々なラスタファリの流れがそのまま色々な土地に定着し始めているような気がする。まだまだ吹けば飛ぶような存在にしても、日本の大地に浸透していくように感じる。現代日本の正反対の生命観が大地にしみこむ雨のように浸透していく。

太一2009年01月14日 18:05
僕の周りもシンクロバイブス一派がいます。
その人等の話をよくきくので、僕もジャマイカに行ってみたいです。

RasNobu4202009年01月15日 11:32
オレの場合も、やはり「ボブ・マーリイ・ラスタ」でありますが、シンクロ・バイブス一派でもあります.
全てはシンクロし自然に認め合う、それがラスタだと想います.
「なぜ、ボブはサッカーで怪我した足をバガに診せなかったのか?」
バガ先生がその時まだシンクロバイブルを発見していなかったのなら仕方が無いが、ボブもパブロのようにバガ先生を主治医にしていれば、36歳で亡くならずに済んだのではと想う時が正直あります.


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