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2021年03月07日20:13

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ボブが日本にやってきた!−1

 1979年の日本公演で数多くのエピソードを生み出したボブ・マーリイは再度の日本公演を期待されながら、多くの人々の期待もむなしく81年に地上を離れて、神のもとに帰っていった。83年10月1日に原宿の裏通りで日本初のレゲエ・グッズの店「トレンチタウン」をオープンさせた僕と妻のヨーコは、95年1月末に店をクローズするまでの十三年間、レゲエを愛する人々の溜まり場かつ情報交換の場として楽しい歳月を過ごした。そして当然、数多くのボブにまつわる体験談も聞く機会があった。その幾つかを紹介したいと思います。

 ボブの泊まっていたホテル(名前は忘れた)でバイトしていた某君の話・・・・・
 レゲエ・ミュージシャンを呼ぶプロモーターが最も心配するのがマリファナ問題だ。とにかく事件をおこされるのが一番怖い。我々レゲエ・フアンも果たしてミュージシャンたちが成田の税関を通り抜けて来れるのか?と、ステージを見るまで安心できない時代だった。厳しくチェックされたはずの彼等だが、どうも一服してるらしいとの噂もあった。(どうなってるんだろう?)と首を傾げたものだった。あのクネクネしたドレッドのなかに巧く隠してると言う人もあり、いやいやスタッフにマリファナ係がいて、プロの腕で税関をすり抜けてると断言する兄いもいて、結局真相は分からなかった。そしてホテルのボーイをしていた某君の話に、(やっぱり・・・)と思う。

 夜になると幾つもの部屋に分かれて泊まるメンバーの各部屋から漏れてきて廊下を漂う、甘くかぐわしい香り・・・。某君は(やっぱりなあ・・・)と思いながら廊下を歩いていた。すると慌しく彼を追い越していく男がいた。(なんだろ?)と注目する。ジャーン!なんと男は火のついた線香を振り回しながら、せかせかと匂いの漏れる部屋に入っていった。(フフフ、線香で匂い退治かい)プロモーターの苦労に同情しながら、某君は一階のロビーに降りていった。するともっと大変なことが起きていて、興奮した某君は幸運なアルバイトを神に感謝したのだった。

 なんとボブ・マーリイがロビーでぶらぶらしていた。泊まっているホテルだから、ロビーをぶらぶらしても不思議ではないが、でっかいスプリッフ(長さ10センチ以上の紙で巻いたマリファナ)を吸いながらだ。プロモーターとホテルマンの数人が青くなって取り囲み、無理矢理マリファナを取り上げようとしていた。
 ボブが左手で制止して言った。
 「ノウ!アイ アム ボブ マーリイ」
 取り囲んだ連中は渋々取り上げるのを止め、囲んだままボブをエレベーターに乗せて部屋まで送り届けたという。某君はうっとりと夢見るような顔で話し終わった。
 「ノウ、アイ アム ボブ マーリイかあ・・・。さすがボブだねえ。うーん、かっこいい」
これは僕が一番気に入っている日本でのボブのエピソードだ。

そして85年の二度目のジャマイカ旅行のとき、似たような可笑しな事件があった。
 83年の最初の旅行のとき仲良くなったウインストン・ジャレットという渋いが売れないルーツ・シンガーが、所属するキングストンのレコード会社の派手なラスタ風デザインのジープで、あちこち案内してくれた時のことだった。

 人気のない山道で、突然ライフル銃や短銃を持った五、六人の男達が飛び出してきて、車が停められた。びっくりしたが、強盗ではなくて、私服の警官だった。案内してくれた三人のラスタが厳しく身体検査された。後で聞いたところによると、ジャマイカではラスタと外国人がつるんでいるのはマリファナの売買と相場が決まってるそうで、そんな疑いをかけられた訳だ。
 そしてラスタの一人のジャレットがかっこよく宣言した。
 「ノウ!アイ アム ウインストン ジャレット」と・・・・・
 誰にも相手にされないのが哀れだった。やはりボブにしか、そんな言い方は通用しないんだろう。
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