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2020年12月23日09:25

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キリシタン紀行 森本季子ー311 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー24

彼女は立ち止まって、むするような緑に覆われた山を指し、親から聞いたという明治二十二年の山崩れと大水害を説明してくれた。
 杖をつき足を引きずる彼女と共に応地の道を歩いてゆくと、
 「ホレ、あっこの衆も、こっこの家もカトリックだ。みんなほんにいい衆での。よく働くいい人だちだ。夫婦仲よくて親切で、わしのようなもんにもいつも声かけしてくれる。それが嬉しくての。優しい人たちだ」
 彼女自身の善良さがむき出しである。未知の私にまるで長年の友だちのように、自分の家族や生活、近所の人の面白い噂を楽しげに話してくれる。
 「わしの家へ寄らんか。お茶の一杯も飲んでっておくれ」
 私はありがたく御馳走になることにした。
 左手の坂、つまり山の傾斜を少し上がったっところで、前庭にはプラスティック容器で育った稲の苗が青々とそよいでいる。今は田植えの時期なのだ。庭の隅には小型トラックと乗用車があり、草花が可憐に咲いていた。
 私は熱い番茶を供されると思っていたが、小学二年ぐらいの少女が盆に載せて持って来たのはコーヒーだった。

 同じ日の夕食後、私は日高川ぞいに小柳瀬の小集落を散歩した。杉木立で覆われた高い崖の下を流れる水の音が滔々と響いてくる。対岸に発電所の白い建物が見えてくる。
 私はそこへ行って見たいと思ったが、どこに橋があるか分からない。引き返す途中、道ばたに止まったトラックに寄りかかってタバコを吸っている人に出会った。発電所への道を尋ねると、
 「知らんもんが一人でこの時間にいくのは無理だな。このトラックに乗りな。おれが連れてってやる」
 一瞬ためらったが、教会に鍵など掛けない土地柄を思って、厚意を素直に受けた。
 その道と橋は発電所専用に作られたもので、土地不案内な者には分かりにくい。対岸に渡って、車体を草で擦りながら徐行してゆくと、突きあたりが無人発電所だった。戻り道で
 「面白いもん見せてやろう」 
 と私の案内者が提案した。
 「落筏路(らくばつろ)の跡だ」
 落筏路とは、大正八年(一九一九)この柳瀬発電所と共に出来た筏(いかだ)を通す専用水路で、発電所や堰(えん)堤から下流に出るもの。筏が通る時だけ通水する施設である。この水路によって日高川屈指の難所、檜皮の滝を避け、距離も短縮した。が、これはこれで筏師に別な熟練を要求することになる。
 「筏乗りは竿(さお)一本を手に、まっ暗なトンネルを筏に乗ってくぐり、トンネルの出口で大声で合図するんだ。水路番が呼吸を合わせてトンネル口にある調整池の扉を開ける。水流と一緒に筏はこの急勾配のコンクリート水路の落筏路を一気に落ちてゆく。筏乗りは緊張でさぞ肝が冷えたろう」
 飛沫を浴び、轟音と共に落ちてゆく筏の上二、しっかりと竿を構えた筏師の姿が目に見えるようだ。
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