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2020年12月19日09:00

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キリシタン紀行 森本季子ー308 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー21

下柳瀬から六地蔵峠越えで柳瀬に通じるこれまでの村道が、柿硲(かきさこ)線に代わって、県道に昇格するのは昭和二十七年(一九五二)十二月二十七日。教会落成の二年後である。南部(みなべ)からのバスも通じるようになった。長い年月にわたる下柳瀬の人々の悲願は成就したわけである。
 更に三年を経て、昭和三十年(一九五五)三月一日、龍神、上山路、中山路、下山路の四村が合併して、現在の龍神村が発足するのである。
 キリスト教の布教にとって農山村ほど困難なところはない、と言われてきた。排他的な気風が強く、外来者を不信と敵意をもって見て寄せ付けない。自分の村以外の者は外来者である。子供でさえ、見知らぬ他村の子供が道を通れば石を投げたりする。戦前のことだが、私はそれを目撃したことがある。同じ山村と言っても地方により気風の相違もあるだろう。が、紀州の秘境と言われるこの山岳地帯の龍神に、住民側の要請によって教会が設立され、スムーズに動きだしたことは注目に価する。それに続く集団洗礼は当時、カトリック界の話題となった。
〔付記〕昭和二十五年(一九五〇)に献堂された最初の建物は六年後、漏電により全焼。現在の聖堂は昭和三十二年(一九五七)の再建である。様式、規模はほぼ同じ。

五、速やかな発展
●集団洗礼
 終戦後、カトリック界の注目を浴びた龍神の集団洗礼(ここでは三十名以上を集団洗礼として扱う)の第一回が教会設立の年のクリスマスだった。洗礼名簿によると、四十三名が受洗し、その中に村長・小川捨楠氏と区長・吉本武雄氏の一家がある。
 クリスマス・イブから始まった洗礼式は翌日の午前三時まで続き、深夜ミサの終了は明け方の五時過ぎだったという。
 三月二十九日の献堂式からこの時までに受洗者は十八名、その中に吉本武雄氏の両親も含まれる。特に教会近辺の応地、原が圧倒的に多い。
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