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2020年11月20日07:22

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ラスタマン・バイブレーション 2002−18−B

 ブルーエンジェルの前で、五郎はタケを呼んだ。ゴッホの〔ひまわり〕のような太陽が意地悪に輝き、額から滴る汗が乾いた地面にしみをつくる。道路は陽炎でフワフワと揺れていた。木陰のココナッツ売りのロバが、人生を後悔するような憂いを含んだ眼で見詰めた。後ろの荷車で萎びた老人が、死体のように眠っている。時間が止まった裏町の午後だった。
「へイ、チン!タケは出かけたぞ」
 近くの家の陰から白いスーツの男が現れる。
「どこに行ったか知ってるか?」
 尋ねてみたが後悔した。この辺には碌でもない奴等が多く、平気で集(たか)るかナイフで金を脅し取る。
「さあな、フッフッフッ」
 タケに理江の手紙を読ませてやりたかったのだ。五郎は諦めて立ち去ろうとした。
「ちょいと待ちな、チン。ああジャパンか。タケによく怒鳴られる。思い出してやるから、ビール代よこしな・・・・・」
 五郎は露骨に嫌な顔をした。
「スモールマネーでいいんだよ、ミスター・ジャパン。お前のガバメントだって援助してるじゃないか。」
 弱気になった男が卑屈な笑みを浮かべる。苦笑いした五郎は、五ドルのジャマイカ紙幣を渡した。たばこ銭ぐらいの額だ。ひったくるようにした男が黒くて長い指で通りを指差した。
「あそこを左に曲がるとホテル・フラミンゴがある。その裏の女たちの家にいるはずだ」
 五郎が燃えるような暑さのなかを歩いていると、横丁からひょっこりタケが現れる。
そして五郎に気づいて駆け出した。
「大変だよ!五郎さん、大変。でもちょっと待ってね。上がりをボスのババアに渡してくるから・・・・・」
―相変わらず、忙(せわ)しないやつだなあ
 ブルーエンジェルに駆け込んだタケを、五郎は軒下の日陰で待った。炎天下を歩きすぎて、すこし眩暈(めまい)がした。地面を揺るがすように低音が鳴り響く大型スピーカーを後部座席に積んだ乗用車が通り過ぎる。三色のリストバンドを腕につけたドライバーが身体を揺すりながらハンドルを握っていた。なんとなく嬉しくなって見送った。すぐにタケが浮かない顔で店から出てくる。
「何が大変なんだ?タケ」
「そう、ジムがね・・・・・」
「えっ、ジムになにかあったのか?」
「へーイ、チン。変な言葉で喋るんじゃねえ!何を企んでいる」
 木陰からさっきの男が嫌味を言った。
「うるせい!黙ってろ。ねえ五郎さん、どこか静かなところに行こうよ」
 いつにないタケの真剣な顔つきに、五郎はますます不安になった。
 しばらく歩き、広い空き地の奥の木陰に腰を下ろす。
「さてと、何から話そうかなー」
 タケはメンソール煙草のモンブランを吸いながら言った。
「もったいつけないで、早く話せよ!」
「ウーン、とにかくオレって英語はからきし駄目じゃん。店の女にジムのことを聞いたんだけど・・・・・、えーと、なんだっけ?」
「ジムがどうかしたのか?」
「そうそう、うちのボス のシンジケートがサツとつるんで、ジムたちを潰しにかかっているらしいよ」
 ふと上を見上げると、白い糸のような飛行機雲が青空にぐんぐん伸びていた。タケは落ちていた木の枝で乾いた地面にいたずら書きしながら思い出す。
「でね、ジョイスが言うんだ。あっ、ジョイス のこと知らなかったよね。へッへッへッ、オレの彼女だよーん。こんど紹介するからね、これがまたいい女なんだ。足は長いし、肌はスベスベ、年は十六・・・・・、ウーン、最高」
 五郎はうっとりするタケの頭をひっぱたく。
「その娘(こ)はいいから。とにかく何が起きたか早く教えろ」
「あっ、そうか。シンジケートね。そうそう、きのう大事件があったらしい」
「どんな事件だ?」
「いやね、なんでも山のほうらしいんだけども、ネグリルだったかな、どこだったかなー?なんせ身振り手振りの会話だから、肝心のところが分からねえ・・・・・」
「いいから、話を続けろ」
「ジョイスがジムのことを知っていたよ。家があの近所らしい。クレージーだけど根はいい奴だって。とにかく彼女の話によると、タレコミがあって警察がジムたちのガンジャ畑を捜索したらしいんだ。それで近くの倉庫で大量のブツを発見したらしい。三トンとか言ってたな。アメリカへの密輸用らしい。でもね、これはよくある話で、大事件というのはジムのシンジケートの連中や村人たちがサツたちを皆殺しにしたことさ」
 五郎はネグリルの老ラスタ、ラス・ブラウンの言葉を思い出した。
「山の民は神の草に守られて暮らしてきたのじゃ。葉は薬に、茎はロープに、根は油になった。すべてがジャーのお恵みだ。大昔から我々はガンジャとともに生きてきた」
 老人は太いスプリッフ(紙巻のマリファナ)の煙をもくもく吐きながら語った。
 ラス・ブラウンは穀物、野菜、果実だけの食事、聖書に基づく完全食、アイタル・フードを厳格に守って生活していた。それ以外に口に入れる物と言えば、木の根を煎じたルーツジュースとガンジャだけで、肉や魚は一切食べなかった。そういう食生活で、老人が逞しく健康的なのは、神秘的とも思えた。
―あのラス・ブラウンも事件に巻き込まれたのか?
「ねえ、五郎さん。聞いてんの?」
「ごめん、考えごとをしていた」
「だから、ジムがポリを射殺したらしいんだ」
 五郎は蒼くなった。そういえば、夜更けに帰ったジムが早朝出かけたのも怪しい。
 それに、だしぬけの『ルードボーイの末路』の話も普段陽気なジムには似合わない。
「ああ、そうそう、続きがあるんだ。うちのシンジケートのボスがジムを警察に密告したらしい」
「馬鹿!なぜそれを早く言わないんだ!」
「ごめんよー。オレのばか頭が悪いんだよー」
 慌てた五郎は通りかかったタクシーを停めた。
「キングスロード」
「イヤーマン!」
 よく見ると車の亡霊のようなタクシーだ。クッションはスプリングが飛び出ているし、運転席のメーターはどれも壊れて動かない。
「ひゃー、えれえボロ車だぜ。ドアを開けたら、ドアごとはずれそうだった」
 好奇心の強いタケが車内を舐めるように見回した。
「うわー、ブレーキ・ペダルが磨り減って、あんなに小さくなってる」
 ボロ・タクシーは千メートルも走ると急停車した。
「ちょっと待っててくれ」
 と言うと、年寄りの運転手が車から降りようとした。
「頼むぜじいさん、オレたちは急いでるんだから」
 と、当然日本語で言ったタケを、振り向いた運転手が珍獣を見るように眺めた。
「れれ、何しに行くんだろう?じいさんヤカン持っていったぜ」
 ポカンとした二人を残して、運転手は近くのバーに入っていった。こうなったら覚悟を決めて待つしかない。
 乾いた熱風が土埃(つちぼこり)を舞い上げる道を、黒いガウンとターバンの老人が粗末な箒(ほうき)を何本も担いで歩いてきた。信仰心の篤(あつ)いラスタ教会の信徒だ。長いあごひげもドレッドになっていた。
 老人はタクシーの脇を通り過ぎる時、気になる言葉を呟いた。
―バビロン・イズ・フォーリン・ブレドリン(悪しき社会はやがて滅びる)
 五郎は不思議な戦慄を感じた。老人の赤く濁った眼が、どこか哀しくどこか神秘的だった。五郎は悠然と歩み去る老いたラスタファリアンを消えるまで見送った。
 やがて運転手がヤカンを提げて戻り、ボンネットを開けた。ラジエターの水の補給だった。
「あーあ、やってらんないね」
 運転手は「ソーリー」とも言わずに走り出す。
「ジャマイカでは、クールランニングがいちばんさ。ジタバタしても仕方ない」
「ホント。なんでもこんな調子だからな。面白過ぎて泣けてくるぜ」

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