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2020年09月28日08:15

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ひめゆり平和祈念資料館ー25 証言


糸洲壕の馬乗り

●照屋信子(てるやのぶこ)(旧・金城信子)−当時18歳 師範本科1年 第二外科勤務

 第二外科の糸洲壕は非常に狭く、じめじめした壕で軍医、看護婦、衛生兵に学生80人ぐらいがひしめき合って、ただ隠れていたんです。
 その頃、すでに患者の看護活動もなく、完全に陸軍病院の機能を失っていました。ただ自給自足と本部壕へ命令受領のため、衛生兵1人と学徒2人で危険な伝令の任務をさせられていました。
 6月18日正午頃、シーンとして静かなんです。前日までは真壁(まかべ)方面の友軍の迫撃砲が物凄い砲声をとどろかせながら応戦しているのが聞えていたんですが、それがぱったり聞えなくなったんです。嵐の中の静けさと言うんでしょうか。「変だなあ」と不審に思い、皆入口から首を出したり引っ込めたりして外の様子をうかがっていました。
 外は太陽がカンカン照りつけるとてもいい天気でした。私は石川文さんや内間シマさんといっしょに、一番奥の銃眼の所で互いに虱(しらみ)取りをしていたんです。この銃眼は名城(なしろ)海岸方向に砲撃出来るように粟石(あわいし)で作られてありましたが、機関銃は見あたりませんでした。
 ちょうど12時頃でした。「ワー、ワー」とこれまで聞いたこともない妙なアクセントの言葉が聞えたんです。この辺の方言かなと耳を澄ましていたが、全然分からない言葉です。私がしゃがんで銃眼から外をのぞきました。すると今まで見たことのない迷彩服を着た人が通って行ったんです。3,40センチの銃眼ですから顔は見えません。下半身だけ見えたんです。日本の兵隊の服装とも違うし、民間人でもないようだし、不安に思った私たちは下の方に行き、米兵らしい者が壕の側を通ったと軍に伝えたんです。すると「そんな馬鹿な事があるか」とさんざん怒鳴られました。
 それからどのぐらい時間がたったのでしょうか。不意にパンパンパンとすさまじい銃声が起こり、壕内は黒煙に包まれパニック状態。
 「やられた。やられた」「助けて。助けて」
 壕内は騒然(そうぜん)となり、さまざまな叫び声がとびかっていました。私たち2人はびっくりして、すぐドスンと銃眼の下に飛び下りました。とたん、今度は銃眼からパンパンパンと打ち込まれたんです。そこに置いてあった水入れの壺に弾が炸裂して、水がドウッと流れ岩も飛び散りました。皆壕の真ん中に集まり、息を殺し、じっとしていたんです。
 しばらくすると壕の上で、ガチャガチャする音やラジオの音楽が聞こえてきます。もう壕は完全に馬乗りされ包囲された、これからどうなるのかと恐怖に脅(おび)えながらじっとしていました。水を打ったような不気味な静けさでした。危険が刻一刻と迫り、最後の時が来たと思っていました。内間シマさんが「このままこの洞窟で果てるのか」
 と小声でつぶやきました。私はシマさんの手を握りしめました。
 兵隊や看護婦さんがあわただしく動いていました。私たちは外の物音に全神経をとがらせながら、日の暮れるのを待っていたんです。
 その夜半、目(さがん)大尉から、「壕を脱出せよ」と申し渡されたのです。「最後の糧秣(りょうまつ)だ」と一袋の乾パンが配られました。「壕を脱出して、それぞれ自分の考えで行動しなさい」という突然の命令にただ呆然となり、壕内は静まり返っていました。その命令を聞いた時、私はどうしようもない怒りと深い憤(いきどお)りが、むらむらとこみ上げてきました。懸命に涙をこらえました。生きるも死ぬも一緒だと信じてやってきたのに、敵に囲まれてしまってから「出ていけ」と言うけど、一体どこにどうやって行けばよいのか。憤懣(ふんまん)やるかたない思いでした。あちこちでざわめきが起こりました。みんな同じ気持ちだったと思います。

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