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2020年09月28日08:04

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キリシタン紀行 森本季子ー247 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー105

●今富の里
 帰路は別の道で、すこし下った集落に入ると、車一台がようやく通れるほどに道がせばまっている。
 「今富です」
 ダイヤモンド師の声にハッとした。文化元年から二年(一八〇四〜五)にかけて天草下島西南部で隠れキリシタン五千名以上の発覚という大事件があった。その発端は今富村(現河浦町)と聞いている。この村であったのだ。
 文化元年正月、農家で牛を殺し、仏前に供えて後、食したことが探知された。真の仏教徒なら四足の家畜を殺して仏に供えたりはしない。まして、それを食することは禁じられている。同じ頃同村で、異形の像も発見された。調査を進めるうちに、崎津、大江、高浜にもキリシタンが隠れ住むことが判明した。その数実に五千二百。当時の四村人口が約一万であったからその半数以上ということである。当局者の驚愕が想像される。だが、その処置が賢明になされ、「土民の宗門心得違い」として、異例の寛大さで、処刑者を出さなかった。が、その後の監視、取締りは厳重を極めたことについては既に記した。現在は人口四百、戸数一六〇、山中に散在する集落である。
 今富の潟(がた)という山の中に飯盛様と呼ばれる塚様(大江の行者様や善者様のごとく石詞で、隠れキリシタンの信仰の場所)があると聞いた。時間の都合で訪ねることが出来ず、残念であった。
 今富山中の塚様を思いながら、なぜか、フト、心に浮かんだ海辺の遺物がある。「潮隠しクルス」と「聖水鉢」で、本渡の天草切支丹館でそれを目にした。その時は、天草四郎陣中旗、その他珍貴なキリシタン遺物に目を奪われて、ただ見て通った、というだけだった。しかし、今富から崎津に下る車中で、それが強く意識された。
 「潮隠すクルス」は、
 自然石に十字架を浮き彫りにしてある。天草灘の洞窟中に密かに祭られたクルスで、干潮時には露出して、覆った砂を払い、切支丹が拝んだものと伝えられている。また「聖水鉢」については、
 潮隠しクルスの近くに置いてあった。石の十字架模様の鉢は、拝むとき身を清めるに用いた聖水鉢と伝えられ、この水で体を清めると幸せを招いたと言う。(天草切支丹館の説明)
 本渡市内の天草資料蒐集家により昭和五二年に寄託されたもので、来歴は明らかとのこと。

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