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2020年09月27日08:24

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ひめゆり平和祈念資料館ー24


看護活動
 生徒たちは暗い壕のなかで、昼夜を分かたず働き続けました。
 負傷兵の中には、あまりの傷の痛みや空腹の苦しさにいらだって、「俺たちは沖縄を守りにきているのに、この様は何だ。お前らも壕を出て傷ちてみろ」と生徒たちに当たり散らす人もいました。
 手術室勤務の生徒たちは手術道具の準備や片付け、切断した手足の処理
等をしました。
 治療班勤務の学徒らは、重い治療箱を持ち、看護婦と共に壕から壕へと駆けずり回りました。
 食事の運搬、水汲み、死体埋葬などの雑役も学徒らの仕事でした。それらの仕事は砲弾の飛び交う壕の外に出ていかなければならない、とても危険な任務でした。
 任務の途中で砲撃に遭(あ)ったり、ガス弾攻撃を受けるなどして、南風原一帯では教師2名、生徒9名が亡くなりました。

用語解説
壕マキ・壕熱
壕の中は真っ暗でジメジメしていて炭酸ガスが充満し、死臭や膿(うみ)、糞尿の臭いがたちこめていた。戦況の悪化につれ、生徒の食事は一日にピンポン玉くらいのおにぎりが1個しかなく、睡眠も立ったままで、生理も排便もなくなった。
青白く痩せ細った生徒らは正体不明の高熱に襲われ、さらに衰弱していった。この症状を「壕マキ」、または「壕熱」といった。「壕マキ」のマキは、負けるという意味の方言である。

負傷兵の実態
 腕や脚を切断された人、出血がひどく今にも息を引き取りそうな人、顎(あご)が動かず水さえ飲めなくなった人、脳症で頭がおかしくなった人・・・。
 薄暗く悪臭ただよう壕の中はうめき声わめき声が絶えませんでした。どの患者も水を欲しがって「水、水、水くれ」と叫んでいました。中には「学生さん、あまり水が欲しいからおしっこ飲んだよ」と言う患者もいました。皆、傷口にわいた蛆虫(うじむし)にも苦しめられていました。
 壕内は「飯くれー、水くれー」「これだけの飯で俺たちが生きられると思うのか」といった怒号が絶えませんでした。
 負傷兵の中には、ふるさとのことや家族のことを話す人もいました。しかし、治って自分の部隊へ帰れる人はほとんどいませんでした。

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