天草・歴史の幻影ー104
「子部屋」は古材を使用した長屋建だったという。今は土台石らしいものが、わずかに残っているだけ。当時、自給自足するため辛苦した開墾畑も、杉の植林と化している。
先を行く師は、長靴ばきで鎌を手に、という土地の人の山歩き姿である。つる草や茨、邪魔になる下枝などを払いながら、まず案内したのは墓地であった。「子部屋」で生活し、没した人たちがこの山石の群の下に眠っている。十二、三歳で「子部屋」を出たというから、それ以前に、短い命をこの根引峠で終わった幼い子供たち。また盲目などの身体障碍のため、他に行き場もなく、生涯をここに過ごした人たち。薄幸ながら、ガルニエ神父という慈父を得たことが、彼らの生命に一条の光となったことだろう。
白い木製の十字架が一基、墓石の群を守るようにひっそりと立っている。さすがにこの周囲は除草され、ダイヤモンド師の心遣いのあとを見せている。
山下浅太郎さんがこの不便な根引峠を去りかねたのは、ガルニエ神父の思い出に満ちた子部屋時代の懐旧のためばかりではなかったように見える。自分の先に、また後に「子部屋」で亡くなったこの墓の主たちの墓守りとなるつもりもあったのではなかろうか。墓の前に立っていると、フトそんな気がしてくる・・・。
「聖母のご像の所へ行ってみましょう」
ダイヤモンド師の言葉にうながされて、墓地を離れた。
杉林を分けて傾斜地を登ってゆくと旧子部屋敷地の一番高い場所に出た。
ルルドの聖母像が積み重ねた台石の上に立っている。
この山頂から眺めると、羊角湾は岬や山陰にさえぎられて、あちこちの山間に散在する大小の池としか思えない。濃淡の緑を縁どりに山嶺の彼方、谷間の此方に白く光る絹のような水面が、一連の羊角湾とは、とても見えない。美しい不思議な眺望である。薄雲を引いた天草の空が上に広がり、写真機のファインダーからのぞくと、額縁にはめ込まれた絵のようである。根引峠の聖母像がいつも見下ろしている風景なのだ。
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