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2020年09月26日07:19

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ひめゆり平和祈念資料館ー21 証言


糸洲部落は死体の山

●長田ハル(旧・西石垣ハル)−当時17歳 師範予科3年 第二外科勤務

 6月18日、壕の銃眼近くにいましたから、誰かが英語の話し声が聞こえると言うんです。「まさか、本当ねえ」と耳を澄ましたその瞬間、パパパッと銃眼から撃ち込まれたんですよ。パッとそのまま奥に逃げ込んだんですけどね。その時2、3名がやられていますよ。「やられた、やられた」と壕内は騒ぎ出しましてね。凄(すご)く危険が迫っている感じだったんですが、すし詰(づ)めで動けないくらいいっぱいで、誰がやられたのか見ることも出来ないくらいだったんです。大声は出せないので、口伝(くちづ)てに囁(ささや)いて、次々伝達もしていました。
 夕方になって静かになると、目源(きがん)逸大尉が命令を出し、「この壕は危険だ。解散する。今から自由行動だ」と言ったんですよね。
 捨てられたような、放り出された気持ちでね。悔(くや)しいというか、涙(なみだ)が止まりませんでした。
 敵の目前ですからね。しかも馬乗りされて、すっかり囲まれてからですよ。与那嶺(よなみね)松助先生は、「いずれ死ぬのは決まっているんだ。それが今日か明日かの違いだけだ。覚悟を決めて出よう」と言っていました。そうだなと思いましたが、でも何かしら1時間でも生き延びたいし、せめて日本の勝利を見てから死にたいという気持ちが強いのです。
 でも、出ろと言うから出なければなりません。「第一外科に郷里の先輩がいます。そこに行きます」と言って、1人で出ました。第一外科には前に伝令で行ったことがあり、方向だけは見当がつきます。
 皆も照明弾の合間を狙(ねら)って、命からがら脱出していました。途中、私も深い溝に転げ落ちてしまって、やっと這い上がったこともありましたよ。弾(たま)の中を匍匐前進(ほふくぜんしん)したんですけど、2,300メートルの距離を1時間もかかりましたね。薄暗い畑道でしたが、途中で見た光景が凄(すご)かったですよね。

 まず驚いたのは、子供を負(お)ぶった女の人です。手を伸ばして死んでいましたが、背中には子供が、これも血まみれになって死んでいたんです。びっくりしました。でもその時私は、こんな具合に一発で死ねたらなと走りながら考えていましたね。
 道は死人でいっぱいなんですよ。兵隊もいるし・・・。でも住民がはるかに多い感じでした。
 近くに水飲み場があると聞いたので行ってみたら、そこも折り重なるように沢山(たくさん)の死体なんですよ。ちょっとした水溜(たま)りはありましたが、血の水なんです。生血の臭いがするんです。飲むのは止めて、ここも危険だと逃げるように通り過ぎました。
 しばらく行くと、門の所で大きな男の人が万歳(ばんざい)をする格好(かっこう)で亡くなっています。
 またびっくりしてそこを過ぎたら、今度は石垣の角にうずくまってね。艦砲(かんぽう)を避(さ)けようと隠(かく)れていたのか、座ったまま死んでいました。そこからちょっと行くと、両足ともどこに吹っ飛んだか分からない死体がありました。目も当てられない状態でしたね。
 どんどん走って行きました。しばらく行くと、今度は避難民(ひなんみん)のよぼよぼしたお爺さんがもっこを担いでいるのに会いました。その後ろからぞろぞろ家族でしょうね。一緒に4,5名、私たちとは逆の方向に向かって歩いているんですよ。「お爺さん、あちらは危険ですよ。私たちは今むこうから来たんですよ」と言ったら、「じゃ、自分たちはどこに行けばいいの」と方言でおっしゃるんですよ。私が、「こちらは危険ですから、あの方向に行ったほうがいいみたいですよ」と言ったら、お爺さんたちは集まって相談しているようでした。

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