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2020年09月20日08:05

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ひめゆり平和祈念資料館ー15

置き去りになった渡嘉敷良子さん

●仲里マサエ(旧・豊里<とよざと>マサエ)−当時20歳 師範本科1年
第一外科勤務

 負傷してずっと寝(ね)たきりだった渡嘉敷良子さんが壕入口に待っていたんです。制服を着け、校章もきちんとして座って待っていたんですよ。私にしがみついて、「さっき皆(みな)出て行ったのよ。担架(たんか)を取って来るからからね、待っていてねと言ったのに、誰も来ないのよ」と言うんです。びっくりしましてね。どんなに心細かっただろうと思って、私はリュックを山城信(のぶ)ちゃんに預けて渡嘉敷さんを負ぶおうとしました。そしたら、
 「痛いよ、痛いよ。私は担架でないと駄目よ」と泣くんです。放ってもおけないし、皆どこへ行ったかもわからない。どうすればよいか困りぬいていたら、さいわい仲宗根先生と西平先生がみえたんです。「豊里、皆本部前に集合している。お前は先に行け」とおっしゃるので、そこで別れたんですよ。
 しかし結局、渡嘉敷さんはそのまま壕に置き去りになったんです。

負傷した千場少尉

●照屋(てるや)信子(旧・金城<きんじょう>信子)−当時18歳
師範本科1年ー第二外科勤務

 大雨が続いて、靴も泥の中にのめり込みます。石川文さんと私は転がるように炊事場近くまでやって来た、そのときでした。北岸少尉と桂本当番兵に呼び止められたのです。
 「僕たちも一緒に行く。この荷物を持ってくれないか」北岸少尉は足を負傷していたので、桂本当番兵の肩に手をかけ、片足とびしながらついて来ていました。
 しばらく行くと、びっくりしたんです。千場少尉が泥道を這(は)いずり回っていたのです。ねかるみの丘の斜面をどうやってここまで来たのか不思議でした。千場少尉の傷は肩でした。遠慮(えんりょ)深い方で、いつも黙ってじっと耐えている、将校には珍しいタイプの方でした。放っておくわけにはいきません。「担架を探して来ます」と言って、少尉には蛸壺壕(たこつぼごう)に休んでもらうことにした。でも少尉は「ありがとう。世話になった。いいから私に構わず、先に行きなさい。もし、あなた方が生き残れたら、自分はこうして死んだと伝えてくれよ。頼(たの)むね」とおっしゃいました。でも2人は担架探しに炊事場に引き返し、やっと破れかかった担架を見つけ、無我夢中走り寄ってみたんです。すると、誰の死体かわからないのですが、生々しい肉片がバラバラに飛び散り、あたりは真赤な血で染まっていました。みるも無残な最期(さいご)でした。あまりのことに2人は、ワアーと泣きわめき、歩くことも出来ず座りこみました。北岸少尉と桂本さんが、「これが戦争ってもんだ。気にしてはいかん。行こう」と急(せ)き立てられ、後髪(うしろがみ)をひかれる思いでそこを離れました。


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