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2020年09月19日07:21

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キリシタン紀行 森本季子ー238 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー96

ハルブ師が崎津の事情に通じてくると、まず野放しの状態に放置されている子供たちの危険を見過ごしに出来なかった。
 崎津は砂浜が殆どなく、羊角湾の深い水に直面している。子供たちは船付場に並んだ漁船を遊び場にして、船から船に飛び移っては興じていた。時に、海に落ちて水死する子供も出た。親たちには子供を見るゆとりが無く、保育所も無かった。
 ハルブ師は崎津の属する河浦町に、町立保育所の設置を要請したが拒絶された。それで、師は福岡教区所属の教会立保育所「聖テレジア園」を作って子供たちを収容保護した。
 ところが、太平洋戦争の勃発で、この保育所は町役場に接収され、運営が役場に移った。戦後、接収解除となり、保育所の土地建物が教会に戻されたのが昭和二十六年(一九五一)。ハルブ師は既に没し、昭和二十五年(一九五〇)以後、熊本県の布教は聖コロンバン会に託された。「聖テレジア園」の土地建物が福岡教区に返還となった頃、崎津教会にはバルク神父が着任していた。保育所運営が聖コロンバン会の費用で続けられることになった。

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