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2020年07月31日08:16

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キリシタン紀行 森本季子ー195 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー53

麟泉もその利にあずかろうとして、宣教師派遣を願った。それに応じて、ルイス・デ・アルメイダ修道士が志岐に上陸したのが永禄九年(一五六六)。天草キリシタン史の開幕である。アルメイダと麟泉の対面は、私たちが今通りかかっている志岐城においてであった。
 領主の後ろ盾によってアルメイダの布教は順調に進み、志岐に教会も建った。そして間もなく麟泉自身が受洗し、家族、家臣、更に多くの領民がこれに続く。
 志岐布教のあまりにも順調過ぎる盛況を思い浮かべる間に、北氏の車は城跡を通り過ぎ、志岐山への農道を登ってゆく。
 「このあたりがいいでしょう」
 北氏の声と共に車が停ったのは、仏木坂付近だった。この地点で、志岐から富岡にかけて、風変わりな地形が見渡せる。
 会場に浮かぶ富岡と下島北岸の志岐を砂嘴(さし)が一筋の帯となって結んでいる。砂嘴とは〈沿岸流によって運ばれた砂礫<されき>が湾口の一方の端から海中に細長く堆積して堤状をなすもの>と辞書は説明する。砂の嘴(くちばし)とはよく言ったもの。西の天草灘と左の有明海からの潮流が時の経過のうちに、志岐と島であったはずの富岡の間に砂礫を運び寄せた。もともと、ここは浅瀬の海である。富岡は志岐に連なる半島となった。富岡の町屋がこの狭い砂嘴の上に並び、東は有明方面、西は天草灘に対している。
 面白いことに、富岡半島の東端からもう一つの砂嘴が富岡湾に屈折した腕を延ばして、袋浦を抱え込んでいる。三保の松原を思わせる緑の岬である。その対岸が志岐の漁港。アルメイダが天草に第一歩を印したのはあのあたりであろう。

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