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2020年07月29日07:40

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(転載)中国・チベット女子一人旅−7


もっと奥へ、もっと高く。容赦なくバスは進む・・・ 

9月26日 高度とともに、テンションも上がる。
 彭措とのあっけない別れの悲しみと、4300mの峠越えによる高山病の吐き気・・・全く違うがどちらも辛い要因が、私を責め立て、涙と嘔吐の眠れぬ11時間を耐えれば、やっと次の街、甘孜(カンゼ)だ。
 康定を出てしばらくすると、もう完全にチベットらしい風景になる。緑のセーターにくっついている毛玉みたいなヤクと馬は、いつ見ても草を食んでいる。道を行くのは、肩袖を垂らした民族衣装「チュバ」を着た男や、トルコ石を編みこんだ長い黒髪の女達。遠くには白く雄々しい山々、その手前には、手触りのよさそうな緑の丘、そのふもとに張り付いている四角いチベット族特有の形をした茶色い民家。その間には、私達のバスと逆方向に流れていく小川がある。私は「ボエエェ〜〜〜〜!」・・・とやりながら、かろうじて薄目を開けて、遠ざかりそうな意識の合間で、時々「あぁ・・・なんて美しいんだろぅ・・・」とつぶやくのがやっとだった。・・・非常にもったいない事である。
 苦しみながら、やっとの思いで甘孜に着いた。
 ここで初めて、乞食の子に張り付かれる。中国では、ほとんど無かった事だ。
当然、無視しようとするのだが、「タシデレ〜(チベット語でこんにちは)」とか言いながら、私のサブバッグであるよれよれスーパー袋を引っ張る。
ふと、彭措の顔が浮かぶ。
彼なら、どうするだろうか?彼は、たとえ100人の乞食の子が寄ってきても、自分の分がなくなる寸前まで与え続けるのだろうか?
・・・困った。顔は平然を装っていても、内心はめちゃめちゃ焦っていた。
結局、根負けしてペットボトルを二本持っていかれる。
何か、与えてしまってはいけないんじゃないかという後ろめたさと、別に1元くらいのお金をあげたって私は痛くないのに、それをしない罪悪感。とにかくいつでも、外国のしつこい乞食は、私の精神に大きな風穴を開けていくのだった。
 気を取り直して、バスステーションを出るが、例によって泊まるところも決まってなく、ウロウロしていると、『住宿 Hotel Gesthouse』と書いたダンボールを持った、現代的ないでたちのチベタンに声を掛けられる。
警戒していたが、「シャワーはないの?」と訊いたら、「ウチにはない。シャワーのあるところだったら、あっちの方にあるよ」という答えが返ってきたことに、何となく安心して、ここに決めた。シャワーは無いけど。部屋はきれいで、一日15元。悪くない。
 街に出て、趣味の仏具などを物色するが、やっぱり外国人と分かるらしく、チベタンたちにじろじろ見られて落ち着かない。「にーはお」と声を掛けられるが、その後がダメだ。チベット訛りの中国語は、ハイパーボーダレスで、ちっとも言ってることが分からない。向こうも、全く通じてないと分かると、「しぇーしぇー、つぁいちぇーん」と言って行ってしまった。
 寂しいなァ、と思っていると、背後から「Hallo」と声が掛かる。・・・こんなところで英語が通じるなんて、ロクなことが無いに決まっている。と思いながら、恐る恐る振り返ると、浅黒い色をした、若いチベタン青年だった。
現代的な格好はしているけど、よく見ると懐にはちゃんと「ガウー」(携帯仏壇。チベットの男の人がその中に仏像など拝む物を入れて持ち歩く。言わばチベット人の証?)が見える。
彼はインドやシンガポールに行ったことがあり、その時に覚えた英語を忘れないように英語を話したいらしい。しかし困った事に彼の英語もまた、チベット訛りで、かなり聞き取りづらい。それでは中国語はオッケーなのかと言えば、これまた怪しい。そして彼の母国語はカム地方のチベット語。ラサの標準的なチベット語とも違う。私と彼の会話は、一見通じているようで、実は半分も通じてなかった。
「Are you hungry?」・・・彼は私が言葉に不自由しているだろうと、レストランに連れて行ってくれた。彼はもう食べたのだと言って食べなかった。
彼の家は「白玉バイユィ」、ヤクや、牛、羊、馬をいっぱい飼っている遊牧民という事だった。しかし彼が何故ここ甘孜に来ているのかは、説明してくれたが分からなかった。そしてここでも彭措と同じように、食事代を払おうとしてくれたので、今度こそ、「だめだめ」と断った。彼の名前は「クンサン」。21歳だと言うが、私と同じ歳くらいに見えた。

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