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2020年07月28日07:49

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(転載)中国・チベット女子一人旅−6


 今彼は、198人の親の無い子供達を預かる福利学校と、220人の修行チベット僧のいる「塔公仏学院」を、運営する仕事に追われる毎日なのだが、もしも手が離せるようになったら、ラサに、行きたいのだと言った。
 ラサに巡礼の旅に行くことが、お母さんへの弔いであり、親孝行になるという事らしかった。
それだから、3年後くらいにならないと、自分に連絡をつけられないから、と、自分の叔父さんの住所と電話番号をくれた。私は例によってヒアリング力が足りず、「3年後くらいに、ラサに行くのですね」と言ったら、彭措はフツーの顔でこう言った。
「不是、不是。到拉薩、要三年。」・・・!?
そう言われてやっと、分かった。私はボディーランゲージで確認する。
彼は五体投地でラサまで行こうとしているのだった。
文字通り、地面に体を投げ出して祈り、立ち上がる・・・の繰り返しで一歩一歩進む巡礼のやり方。
しかし
彼の出発地点、康定から、ラサまで2,000Km以上の距離がある。
しかも、ここから先は5,000m級の峠越えも何度かある厳しい山道。
雪山の厳冬を丸腰で3回も越すって?!
クレイジーだとは思わないが、羨ましいとも思えない。正直。
でも彭措の、「これが母への孝行なんだ。死ぬかもしれないくらい困難な道のりだけど、時間が出来たら、必ず行く。」と言う、その目、表情を見たら私は、心から、無事遂行できるよう祈る気持ちと、あらゆる意味でそれを出来ない自分と比べると、やはり少し羨ましいような気持ち・・・そんなものが湧いてこみ上げて、目から溢れ出そうになって、焦った。

実際、私は彭措と話してる最中何度か涙が出てきてしまった。
老ラマが中国人もチベット人も一緒だ、と言った話の時、死んだお母さんのために五体投地でラサへ行くと言う話の時、
それから
彭措は、「私がするのは、教える事と、学ぶ事だけで、商売ではないので、最低限の衣食住さえまかなえればお金というものが要らないので、余るものがあれば他人にあげてしまう。物があったら、これは私のものでもいいし、あなたのものでもいい。」と、
そう言って、ただ余暇を楽しんでいるだけの、一人の旅人である私にさえ、衣(赤いセーター)、食(夕食の麺)、住(ゲストハウス)、それに学ぶ事(仏教の話と、本と、金剛薩多の画)を与えてくれた。
ガマンしたけど、こういう涙って、自然と流れてしまうみたい。

結局、夜じゅう話し続けて、せっかく払ってくれたゲストハウスに戻れなくなったので、彭措の僧坊に寝かせてくれた。彭措はソファーで寝ていた。

バスは朝早い。2時間ほどで起きなければならなかった。
翌朝、まだ外は真っ暗。ふらふらと足元のおぼつかない私の手を取って、彭措はバスステーションまでのぬかるんだ道を送ってくれた。
寝不足のせいか、私は高山病をぶり返し、途中で何度か吐きそうになり道端にしゃがみ込む。
バスに乗り込んで、ようやく座席に落ち着き、しばらくしたら
「じゃ、私は行くから。・・・いやいや座ってて。荷物があるんだから、気を付けて。それじゃ、さよなら」と、あまりにもあっさりと彭措は行ってしまった。
私は、色々な言葉を探したけれど、時間とボキャブラリが足りず、たった一言、「謝々・・・。」としか言えなかった。
もどかしくて、さびしくて、また一人しくしくと泣いてしまう私であった・・・。


9月25日 私が初めて出会ったチベット人、ポンツォ。
彼の僧坊で。セルフタイマー駆使!(普通か・・・)
それにしても、彼が私と同い歳と知った時にはびびったわー
3月に旅から帰ってきたら、自宅に彼からの年賀状(チベット正月にあわせて)が届いていた。
写真と一緒に手紙を書いたけれど、返事はまだ来ていない。
もしかしたら、もうラサに向けて巡礼の旅に出たのかもしれない・・・。

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