天草・歴史の幻影ー40
「この山の続きに隠れみ堂があるから行ってみましょう」
山下氏の声で私たちは再び乗車し、更に山中の細道に入りこんだ。小型車がやっと通れる狭さだ。隠れみ堂とは何か建物があるのではなく、石を積み上げた中にキリシタンの遺物を隠し、そこで祈ったのだという。
車を出た私たちは氏の後から、山ひだの窪地を登り、右に左に、杉林の下草を分けて斜面を登った。この地方の先祖たちが幾代にもわたり、営々辛苦して積み重ねていった段々畑の跡である。
隠れとなった人たちは山肌から拾い出した石くれを、人目に付かない場所に積み、その中に家に伝わるキリシタンの聖物を隠し、祈りの場所とした。畑仕事を装い、寄り集まって祈る間にも、千ノ通峠には見張りを立てていた、という。今では、集落から遠く離れた山畑を耕す人もないままに、杉が植林されている。
山下氏は長靴ばきで手に鎌を持ち、からみ付く茨や下枝を切り払いながら進む。シスター松下も私も長靴。マムシへの防御である。
祈りの塚は三メートルほどの石積みというのだが、来る人もない山中、見通しの利かない林の中では方角さえ歩き回っているうちに分からなくなる。かなり深く分け入って探したが、ついに山下氏もあきらめて車に戻ることにした。
氏は私たちを慰めるように言った。
「荒尾岳まではすぐですから行ってみましょう」
荒尾岳は海抜三三八メートル。山としては高くないが、天草下島の西海岸で一番高い。頂上から天草灘が眼下に開ける。天草・島原の乱後、ここに遠見番所が置かれ、烽火(のろし)場も設けられた。今も山頂二ヵ所に烽火場の石組が残っている。
晴天ではあったが、海上に薄くモヤがかかり、島原方面の遠見は利かない。荒尾岳の下、岸辺近くの海中に「大ヵ瀬」と呼ばれる大小幾つもの岩塊が突出した岩場がある。まわりを白い波が縁どっている。展望台からは北に、高浜の町と港が緑の丘陵を背負って、小ぢんまりと静かな姿をのぞかせる。
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