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2020年06月26日08:16

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キリシタン紀行 森本季子ー158 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー22

ここには聖母訪問会が保育園を経営している。いずれ改めて崎津訪問をしなければならない。それで、通りがかりに修道院に立ち寄り、責任者のシスター山野に挨拶したのみで、大江に向かった。
 天草灘から湾入する羊角湾入口の漁港・軍(いくさ)ヶ浦を過ぎると、「兵越(つわんごし)」と呼ぶ山越えになる。峠を過ぎて更に山道を北上すると大江天主堂の白いドームが山中の緑の中に見えた。やっと目的地に到着した、という安堵感と共に、教会の美しい偉容にハッとした。何か不思議な宝物を南島の山林に発見した思いである。
 川口トシエさんを自宅に送るためシスター松下の車は天主堂の下を回って野中の集落に入った。家の多くは山の斜面に建っている。トシエさん(七十五歳)は腰が曲がって一見弱々しそうだが、身軽に石段を上る足どりはしっかりしている。
 天草の山中を生活の場にする人々は昔から厳しい労働の日常だった。山地を少しずつ切り開いて耕地を作るのに力の限り働いた。何代もかかって畑を築いて、山の上へ上へと積み重ねていった。彼らは五十代で早くも腰が曲がり、顔にも深いシワを刻んだ。自活できる農地はその代償だった。トラクターの入れない急斜面の狭い段々畑は、今も機械力の恩恵を受けることがない。しかも山里に残って農作に従事するのは老人たちである。成人した子供たちは都会に出て、親元に仕送りをしている。生活保証もあって、今では生活そのもののために労働を強いられることはない。が、長年の習慣と、収獲の楽しみのため畑仕事を続けている。

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