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2020年06月07日08:38

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キリシタン紀行 森本季子ー139 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー3

大矢野町・登立でバスは一時停車した。
 天草諸島は、戦国時代に、天草五人衆と言われた豪族が分有していた。天草の玄関口、この大矢野島には大矢野氏が城を構えた。城主大矢野種基が家臣と共にキリシタンに入信したのは天正15年(1587)。天草にキリシタン伝来の二十一年後で、その入信の動機が美しい。

 戦国時代であれば、生き残るために強者をめぐって離合集散が繰り返される。天草五人衆は島津の圧力に屈し、その勢力下に組み入れられて、天正十四年(1588)豊後の大友宗麟攻めに参加した。その交戦中に秀吉が九州に南下してきた。それを知って島津勢は天草勢を一万田城に置き去りにし、薩摩に引き上げてしまった。大友軍に包囲された天草衆の全滅は必至である。その時、大友側の武将に、熱心なキリシタン、志賀親次がいた。彼は敵中に同信の天草久種がいることを知り、キリシタンのよしみから久種を助命しよう、と申し出た。久種は自分一人助かることを潔とせず、籠城の全員が宥如されるなら、城と共に降服する、と答えた。志賀親次は天草勢を助命したばかりか、彼らをもてなし、肥後の国まで護衛した。この同信のよしみという敵味方を越えたキリシタン宗門の友愛に、天草衆は驚嘆した。こうして大矢野種基が妻子と共に受洗し、領民二千名近く(全領民の六十パーセント以上)がこれに続いたという。

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