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2020年05月17日08:41

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キリシタン紀行 森本季子ー121 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー85

大島の町村は戦災によって九十パーセント焼失した。名瀬教会は昭和10年(1935)宣教師引き揚げ後、名瀬町役場に転用されていたが、これも勿論焼失。終戦後、信者たちは、いち早く教会再建の資金獲得に立ち上がった。
 「焼跡の整理、食料配給などの共同作業で得た収入、約三千万円で戦後名瀬の聖心教会ができました」
 この教会は昭和30年(1955)の名瀬大火で焼失している。
 「戦時中の隣組がそのまま信者の活動の中心となった」
 という。終戦直後の食料窮乏は本土以上であった。ソテツの実、処置を誤ると有毒でさえあるソテツの若芽や幹から取るデンプンで飢えをしのぎ、「ソテツ地獄」を現出した。そんな中でのユイワクである。東京では考えられない。大都会の方が精神の孤島を周囲に作る。信者の団結は「鹿児島県で一番信者数の多い名瀬」」という数字の上だけで割り切れることではない。それでも、時代の波はこの島にも押し寄せている。「現代の青年の教会離れ、特に就職で離島した若者の教会離れ」が古老たちの嘆きである。
 大島のカトリック受容について前田信一氏の発言があった。
 「奄美には従来宗教の中心がなかった。これが明治にカトリックがもたらされると人々の心をとらえた。しかしこれは戦後にアッと言う間に増加した創価学会についても言えることです。島の持つ素地として、抵抗がない。カトリックについて言えば、島の人々はキリスト教に対する偏見がなく、信者の生き方の立派さに尊敬を持っています。現在教会外にある人でも、死ぬ前には受洗したいという人が多い。つまり好意が持たれています」

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