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2020年05月04日09:48

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キリシタン紀行 森本季子ー112 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー76

 池田家でこの像を見た同じ村落の占者、祈(いのり)直清氏が懇請してもらい受けた。
 祈直清氏はこれを歳徳大明神として祈り、占いの折に霊力を受ける神として拝んでいたというのである。ところが、祈直清氏には養女があったが、ある夜夢の中にこの像が現われて『マリアでござる。マリアでござる』といったので祈直清氏は何かを感じて名瀬に赴き、カトリック司祭のジェローム師を訪ね、西安室への布教を強く願い求めたという。(中略)夢物語の真偽や占者の祈直清氏の神父派遣要請の真の意図がどこにあったか、現在ではそれを知るすべはない。(中略)ただ興味のある点は、中国渡りの母子像を機縁として、占者祈直清氏の働きによって、西安室に対する宣教の道が開かれたということである。」(「南島におけるキリスト教の受容」安斎伸)
 コンベンツアル聖フランシスコ会の「奄美大島宣教二十五年史」昭和30年(1955)2月の項に「ゼロム神父、西安室で宣教を開始」とある。師はその後も数回布教に赴いている。
 昭和32年1月3日
 ゼロム神父、村田忠伝道士、西安室訪問、八日間滞在、四十一家族の求道者あり。
 当時名瀬から南端の古仁屋に行くのさえ大変なことだった。そこから小舟で加計呂麻島に渡り、更に徒歩でハブの出る山を越え、西海岸に出なければならない。今日、自動車、フェリーの便を得てさえ遠い西安室である。「マリア観音」を契機として、宣教師が初めて来村した西安室。ここにまかれた福音の種は発芽が早く、豊かな収穫をもたらした。
 西安室で集団洗礼式。ゼロム神父、ユゼビウス神父、西安室の公民館で八十八名に洗礼をさずける(前掲二十五年史)
 昭和32年5月12日である。宣教開始より二年三ヶ月。その後西安室約八十戸のうち十五戸がカトリック者となった。この五分の一という数字は西安室の僻地性を考えると驚くべき数である。しかし、ゼロム師を招請した占者祈直清氏は、ついにカトリックに入信することがなかった。

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