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2020年04月17日09:01

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キリシタン紀行 森本季子ー96 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー60

 事のてん末を知った浦上の有盛も失望落胆して自刃。加計呂麻島の資盛は既に没していた。風のそよぎにも追討を恐れる落人の悲しい運命とは言え、あまりにもはかない末路である。島人は三将の居城跡にそれぞれの名を冠した神社を建てその霊を慰めた。大熊への途中、有盛神社の前を度々通ったが、このような伝説のあることは後で知った。遠見番所のあった安木屋場埼、屋仁崎は以後不運な守備者の名をとって今井崎、蒲生崎と呼ばれ、今井権現、蒲生神社も建てられたのだという。
 歴史では平重盛の子資盛、平基盛の子行盛は壇ノ浦で入水したことになっている。が、大島出身のロシア文学者、故昇曙夢(のぼるしよむ)氏は著書「大奄美史」の中で、三将の奄美落ちは史実に乏しいが、口碑には信憑(しんぴょう)性があるとしておられる。

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