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2020年04月10日09:08

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キリシタン紀行 森本季子ー90 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー54

一、辺境の海岸をつなぐ聖堂
●芦花部(あしけぶ)〜安木屋場(あんきやば)
 この日、奄美第四日目のミサは浦上教会。大熊教会主任司祭の巡回教会の一つである。大熊に隣接した集落で、人口1000、信者数353。信徒人口比は33・5%と現在では大熊より高い。大熊教会が畳じきで古風なのに比べて、ここは都会にも通用する新しいきれいな教会だ。新しいと言えば、浦上の中心部は道路も広く、住宅もさっぱりとした新築であることが一目で分かる。これには理由がある。浦上の人々は「奄美群島振興開発特別措置法」の適用を受けて集落の様相を改新した。ところが大熊では適用を望まず、旧態の保持を選んだ。大熊の通りを押川氏の説明を聞きながら歩いた私には、その気持が分かるような気がした。
 「この道路は私たち信者が共同作業で教会まで通したものです」
 教会前の川に来ると、
 「この橋は私たちが鉄筋をうち、セメントを入れて架けました。ファチマ橋と言っています。あの教会の塀も信者の手作りです」
 つまり、大熊の人々は自分の汗のしみこんだものに愛着と誇りを持っている。家々の間の道路は車のすれちがいも難しいほど狭いのだが、少々の不便は譲り合いでどうにかなるのである。わずか二キロの距離が言葉にも気質にも差を付けているのを興味深く感じた。
 浦上教会の前庭に房なりの実を付けたバナナの木があった。上二段ほどは黄色に熟している。木で熟したバナナなど見るのは初めて。
 「うまいよ、シスター、食べてごらん」
 と信者の一人が一本取ってくれた。皮をむくと甘い香気が鼻をつく。オレンジかかった実に歯をあてた時私は思わず「おいしい」と嘆声をもらした。「そうだろう」と彼は満足げだ。そのうち鋸を持ち出して実の軸を根本から切って福音のシスターに渡し、次に木そのものを切り倒してしまった。一本に一房、一回限りの結実だそうだ。根本には既に次代の木が育っている。こんなことも私には珍しい発見だ。

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