mixiユーザー(id:1762426)

2020年04月02日08:11

114 view

キリシタン紀行 森本季子ー83 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー47

 このような村の伝統的行事の拒絶は村人の怒りを挑発するに十分だった。「交際断交」と称された事態が起こったのである。つまり村八分である。いやがらせ、妨害が信者に加えられ、村の共同生活からはじき出された。しかし、これが続くうちに双方が当惑することとなった。
 村落の生活は相互扶助から成り立っている。家の建築、屋根のふきかえ、キビ刈り、台風による破壊個所の修理にしても村内の人々の協力を必要とした。この相互扶助の精神とこれによる共同作業を「結(ゆ)い枠」と称した。それに同一集落ではそれぞれ何かの縁で結ばれている。「交際絶交」によって互いのつきあいも出来ないことになってしまった。しかも絶交された信者側に有力者や技術者がいた。これは、上下関係と連帯の上に成り立つ離島の村落共同体にとって、村八分した方が不利な立場となる。「交際絶交」と呼ばれた分裂は約半年ほどで終わった。それぞれの宗教の自立を認め、平和的に共存することを申し合わせた。北部の笠利でも同様の事態が起こり、同じような方法で収められた。異文化受容の一過程である。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する